イザヤ書 48章
神の民であるヤコブの子孫は、エジプトに来て群れ広がり非常に強くなった。それを恐れたエジプト人は、彼らに過酷な労働を課した。苦しむ民をエジプトから逃れさせたのは、「わたしは、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したあなたの神、主である。」(出エジプト20:2)
それにもかかわらず彼らは、エジプトを出て荒野にいるあいだ不平不満を言い、金の子牛を造って伏し拝んだ。
信じて辛抱強く待つことができず、主を裏切り、自分勝手に計画を練って物事を進めようとした彼らは、後に、その頑なさゆえに捕囚の身となり、バビロンに強制移住させられてしまう。
しかし主は、背き続ける彼らを絶ち滅ぼさなかった。なぜだろう。
「わたしのため、わたしのために、わたしはこれを行う。どうしてわたしの名が汚されてよかろうか。わたしの栄光を、ほかの者に与えはしない。」(11節)
神の民ユダヤ人を絶滅させない理由は、神ご自身の名のため、神ご自身の栄誉のためだと言われる。
そして神は、ペルシャの王キュロスを用いてユダヤ人を解放する。
「バビロンから出よ。カルデアから逃れよ。」(20節抜粋)
ところが、神さまとの関係を修復させるためにバビロンから出てエルサレムに帰還した者はわずかだった。大多数は現状の安定した生活に満足し、変化を恐れ、そこに留まった。ここにも、神の命令に耳を傾けず、自分中心に歩もうとする人間の頑なさが垣間見られる。
神さまが造られた世界に人間の罪が入ったことで、本来の天地創造の目的から外れてしまった。しかし神さまは、再び新しい天と地を造る計画を立てておられる。その世界とは、「神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。」(黙示録21:3抜粋)
神ご自身の栄誉のために計画を成就させると言っておられるが、それは、人間にとっての幸福、平安、永遠の命が約束されているプランでもある。
「わたしはあなたの神、主である。わたしはあなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。」(17節抜粋)
私たちには、神によって再び造られる新しい世界へと通じる道が用意されている。その道を歩むべき私たちに「これを聞け」「わたしに聞け」「みな集まって聞け」「わたしに近づいて、これを聞け」、と繰り返し告げてくださる神さま。
信仰は聞くことから始まる。
しかし人間は、自分が望んでいる答えが返ってくれば素直に聞き、自分が望んでいる答えが返ってこなければ聞かない。自分が必要なときは受け入れ、必要でないときは退ける。自分中心主義で真実と正義をもたない口先だけの信仰は、人を堕落させ、不自由にし、正しい道から外れさせてしまう。
そうならないために、神である主のことばを素直に聞く者でありたい。
愛する天のお父様。あなたが語られたことが必ず成就すると信じる私たちが、頑なになることなく、どんな時でもあなたのことばに聞き従う者でいられますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
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