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2022年7月12日 ディボーション

ヨハネの福音書7章


「仮庵の祭りの主イエス」


 主イエスの十字架は春の過越の祭りでしたが、この7章では前の年の秋祭りであるエルサレムの仮庵(かりいお)の祭りが舞台となっています。この祭りは出エジプトの荒野での出来事を思い起こす祭り。エジプトから脱出したユダヤ人が荒野で生活をした事を何世代への子孫に伝えるために今でもユダヤ人は庭に掘立小屋を作り屋根もなつめ椰子の葉やミルトスで覆い、小屋の中から夜空の星が見えるようにして荒野の生活のことを思う7日間を過ごし、子ども達を掘立小屋の中に入れて親達がこのようにしエジプトから脱出して荒野でくらした我々の祖先、実に我々の神が助けてくれて出エジプトをしてきたのが先祖達なんですよと伝えている祭りだそうです。(参考レビ記23章34〜43節)仮庵の祭りはユダヤ旧暦第七の月15日(現在の10月頃)から始まりますが最後に水取りの儀式がシロアムの池で行われます。水のない荒野で過ごした先祖を思い出し最後には水に満たされるわけですが大祭司がシロアムの池で水を汲んで神殿まで水を運び、イザヤ書12章を歌う儀式です。

 イザヤ書12章4節「その日、あなたがたは言う。『主に感謝せよ。その御名を呼び求めよ。そのみわざを、もろもろの民の中に知らせよ。御名を崇められていることを語り告げよ。」これは日本でもマイム・マイムの歌として知られています。


 思い起こせば小学校のダンスで流れていた曲ですね、踊り手が交代してゆくのですが小学生の好きな女の子が次の順番に来る時に緊張して自分の手に冷や汗をかいたことを懐かしく思います。なぜこのイスラエルの曲 マイム・マイムが選ばれて日本の小学校で伝えられたのか今から思うと不思議な気持ちです。主イエスもこの仮庵の祭りの最後の日に大祭司が水をもって神殿に上がる時に、皆が喜びながら歌うこの曲を聴いていたのだろうと想像します。きっと神殿の庭の階段を上がるたびに喜びの歌声が広がっていたことでしょう。


 37〜38節「さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立ち上がり、大きな声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」」

 ここでは生ける水である聖霊という、霊のことを水を祝っているユダヤ人に説明されたのです。この前の6章では「わたしは、天から下って来た生けるパン(マナ)です。」とも説明されていますが主イエスの話す内容を悟る者はほとんどいなかったのです。


 さてエルサレム神殿の構造は日本の神社と比べてみると判りやすいのです。赤い鳥居をくぐると手水舎があってまず清めてから参拝する人達が拝殿に向かう。賽銭箱は元々は罪をお金にして納めた。神社の拝殿からさらに奥の本殿には御神体として神霊が宿っているとされる鏡、神木、岩などが祀られており、本殿はちょうど神殿の至聖所に大祭司が年に一度しか入れないように本殿も年に一度と理解している。神殿にも拝殿にあたる聖所があり、奥に至聖所があって神が臨在されておられる場所が本殿にあたります。

 神殿では聖所に入る前に神社の手水舎のように青銅の洗盤があり水で身体を清めてから祭司は聖所に入ると右側にパンの机があって12個の種無しパンと乳香があり、左側には金の燭台(メノーラー)があります。水とパンと光の場所です。主イエスはわたしは天から下ってきたパンだと言われました。生ける水とも言われました、そうして世の光とも言われておられます。まさに聖所の物の意味を主イエスが見せて下さり、わたしが神殿なんですよとおっしゃておられるように思われます。そうして我々も水で洗礼を受け聖められ、いのちのパンである聖書のことばを食べ、聖餐式を受け聖霊の臨在を経験しながら世の光としてイエスと共に輝き、この暗い世を道を踏み外さないように燭台を持ち、祈りを天に捧げながら主イエスを遣わされた天のお父さまに向かって歩み続ける力を得るのです。


祈り

 天にまします我らの父よ。ヨハネを通じて主イエスのみことばをもう一度経験させて頂き感謝いたします。どうか自分の信仰は、本当にか細いろうそく一本のような者ですが、この暗闇の世を歩むのに手元を照らし道を踏み外しませんように導いてください。ろうそくが消えて脇道に落ちそうになった時には主イエスが手を伸ばし再び火をともしてくださり、助け上げてくださる事を信じて歩んでまいります。


マイム・マイムの歌





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