2022年8月26日 ディボーション
- hccnichigo
- 2022年8月26日
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エレミヤ書31章
31章は、ユダの民に対する救いと回復の預言が記されている。その内容に、ただ感動し、感謝し、賛美が湧き上がる。
これまでの厳しい裁きの預言があればこそ、その裁きの向こうにある救いと回復に込められた、神の熱情の愛がひときわ輝きを放つ。
「主は、遠くから私に現れた。『永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに真実の愛を尽くし続けた。』」(3)
神の愛は、永遠に変わらない。それは、この時だけに言えるのではなく、神に背き、神に裁かれているという中にあっても、そうなのだ。神の愛が途切れることは一瞬たりともない。
神の御業は、その一点だけで判断すると分からないことが多い。しかし永遠という視点で見ると、点と点がつながって神の御心の全体像が見えて来る。神の愛が、永遠に変わらないことが見えて来る。歴史を考えることは、まさに神の永遠の愛を確認する作業でもある。
「あなたの将来には望みがある。」(17)この一言を、全世界に向かって叫びたい。このことばは、国が滅び、廃墟となり、敵の国に捕囚となって引かれて行き、望みが絶たれた民に対しての言葉だ。
たとえ私たちが絶望、失望したとしても、神の希望はなくならない。神は、必ず、私たちを救い、回復してくださる。
このエレミヤの預言は、70年後に文字通りに成就した。さらに霊的な意味として、イエス・キリストの十字架による救いによって成就したのである。
そして、エレミヤの預言は、現代を生きる私たち一人一人に語られている神のことばだ。
神の計画の中に生かされている私たちには「将来に望みがある。」のだ。この神の希望に生きていきたい。
天の父なる神さま。
あなたの恵みにただ感謝を捧げます。そのまま滅ぼされて当然の私たちに対して、永遠に変わらない愛をもって愛してくださっていることを感謝します。
神の希望の中に生きる自分たちでありますように。神の希望に目をとめる私たちでありますように。どうぞ導いてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
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