2022年9月11日 ディボーション
- hccnichigo
- 2022年9月11日
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エレミヤ書47章
「ああ、主の剣よ。いつまで休まないのか。さやに収まり、静かに休め。」6節
「どうして、休めるだろうか。主が剣に命じられたのだ。アシュケロンとその海岸、そこに剣を向けられたのだ。」7節
46章はエジプトに対しての神の裁きの預言、そして、47章はペリシテ人に対する神の裁きの預言が述べられている。ペリシテは、今のパレスチナのことを言っている。ペリシテ人は鉄の文明をもった軍事国家であった。ダビデの宿敵ゴリアテもペリシテ人であった。聖書解釈によると、ペリシテ人は隙を見せると攻め込んできたという伝えがあるといわれた。
どうしてペリシテ人も裁かれなければいけないのかというと、彼らは偶像礼拝を捧げたこと、そして、イスラエルの民を苦しめた為だと言われている。神は、義なるお方で自分の選民を苦しめる者は、そこに神への悔い改めがなければ誰でも裁かれるということである。
47章の6節と7節のエレミヤの祈りに注目させられた。エレミヤは、6節で、主の剣がさやに収まり、静かに休むことを願ったのである。つまり、この苦しみや悲しみがいつまで続くのか、早く収まってほしいというエレミヤの思いだったのである。だが、7節では、主がペリシテ人を破滅させることを決めておられるので、最期まで破滅されるまでは剣がさやに収まり、静かに休むことができないということである。罪の裁きが行われるまでは、誰でも容赦しないという神の掟であろう。私達が、神の怒りを避ける為には、どんな時にも真の神へ、へりくだり、悔い改めていくことが必要であるということなのだ。
祈り
愛する父なる神さま。御名を心からほめたたえます。
日々罪をおかしても、イエス・キリストの十字架によって悔い改めることができる特権をあたえてくださったことを感謝します。自分にとっては、毎日が悔い改めです。そのようなことができる幸いを与えて下さってありがとうございます。心から感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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