top of page
  • hccnichigo

2022年9月21日 ディボーション

哀歌5章


 最後の哀歌となった。哀歌5章は全体が主なる神への祈りであり、主語が「私たち」で記されている。「私たち」という言葉が21語も書き記されているのは実に興味深いことである。哀歌には、主からの応答が全くない。一方的な「私たち」からの呼びかけで最後は祈りで終わっているのである。著者は、祖先の犯した罪の為に神の裁きにあったことを認め、それを十分受け止めながら、神の憐れみを願って祈っているのである。悔い改めて真剣になって祈り懇願するのである。


20節(一部抜粋)「なぜ、いつまでも私たちをお忘れになるのですか。」

21節(一部抜粋)「主よ、あなたのみもとに帰らせてください。」


 著者は、主はいつくしみ深く、主の憐れみはとこしえまでも、主は決して見放されることはなさらないこと、等々を十分に知っていたことでしょう。だから、22節で大胆に主に祈ることができたのである。


「あなたが本当に、私たちを退け、極みまで私たちを怒っておられるのでなければ。」22節


 自分の犯した罪で悲惨な状況にあった時に、つまり、自業自得の人生のなかにいた時にもこの著者のように大胆に祈ることができるだろうかと問われるところである。しかし、ある解説者によると、神は、私たちの再生の願いを厚かましいとは思われない、又、神の深い愛に甘えることが許されていると言われている。これが神と私達の関係に深く繋がっていくことではないだろうか。



祈り

 愛する天の父なる神さま。御名を心からほめたたえます。短い哀歌でしたけど多くのことを示して下さって心から感謝します。自業自得のなかにいても厚かましく祈り、悔い改めて、あなたの深い愛に甘えていくことができますように導いて下さい。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


閲覧数:25回0件のコメント

最新記事

すべて表示

2022年12月31日 ディボーション

ダニエル書 9章 『御心ならば』 ダニエルはエレミヤの預言により、捕囚が70年間であることを知り、あと3年でその期間が終わることを悟った。と同時に、同胞が犯してきた罪に思いを巡らせた。イスラエルの民が幾度となく神さまを裏切ったこと、偶像崇拝で聖都を汚したこと、エルサレム神殿...

2022年12月29日 ディボーション

ダニエル書7章 『ダニエルの見た夢』 ダニエルの見た夢は、4頭の大きな獣であった。2章でネブカドネツァル王が見た像の夢と似通った幻である。第1の獣は獅子のようなもの、第2の獣は熊に似たもの、第3の獣は豹ににたもの、そして第4の獣は大きな鉄の牙を持った恐ろしく不気味なものであ...

2022年12月26日 ディボーション

ダニエル書4章 『聖霊によって変えていただく』 アイゾン直子 ネブカドネツァル王は、数々の奇跡を目の当たりにした結果、イスラエルの神を褒めたたえるようになりました。しかし、唯一の神として認めることはできませんでした。彼は自分が神に等しい者と思っていたのかもしれません。そんな...

Comments


bottom of page