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2022年9月30日 ディボーション

使徒の働き9章      

 

 この9章は、パウロの回心の出来事が記されている。この一連の出来事をドラマのようにイメージすると、なんとも劇的で、手に汗握るシーンがあり、中には「サウロの目から鱗のような物が落ち」(18)とあり、なるほど「目から鱗」とは、ここがオリジナルなのだと判ったり、読み応えのある章である。

 

 パウロは、かつての迫害者から、イエスが「神の子」であることを証言する者へと変えられた。彼は、旧約聖書に精通していたので、ひとたび、イエスがメシヤ(救い主)であることが分かれば、聖書を縦横無尽に駆使して、イエスを証したのだろう。

 ユダヤ人にとっては、向こうへ寝返ったパウロの殺害計画を立てるほどに、彼の存在は脅威となった。

 しかし一方で、イエスを信じた者たちは、かつての迫害者パウロがイエスの弟子になったことを信じることができず、彼を仲間に入れることを恐れていた。パウロは、ユダヤ人からは裏切り者として命を狙われ、クリスチャンからは信用されずに拒絶され、行き場を失っていたのである。そこに登場したのが、バルナバという人物である。このバルナバに注目してみたい。

 

「しかし、バルナバはサウロを引き受けて、使徒たちのところに連れていき、彼がダマスコへ行く途中で主を見た様子や、主が彼に語られたこと、また彼がダマスコでイエスの名によって大胆に語った様子を彼らに説明した。」(27)

 バルナバは、サウロを引き受けた。それは、身元引受人になったということだ。バルナバという名は「慰めの子」という意味で、使徒から名づけられたニックネームで、本名はヨセフであった(使徒の働き4章36節参照)。

 彼は、後にパウロと共に宣教旅行に遣わされることになる。第二回宣教旅行の時に、パウロは無責任なマルコを連れ行くことに反対した。そこでバルナバはマルコを連れて行くにして、パウロと袂を分かった。

 バルナバは、常に不利な立場にある者、責められている者の側に立つのだ。パウロの身元引受人になり、次にはマルコの身元引受人となる。身元引受人になることは、リスクを伴う。自らが傷つき、責任を問われることも覚悟の上だ。

 

 なぜバルナバがそのような性格になったのかは分からないが、これも一つの召し、賜物なのだろう。なぜなら、イエスは、そして聖霊は、まさに慰め主だからだ。

 だから、キリストの体である教会には、必ず一人、バルナバのような「慰めの子」がいる。そのような賜物をいただいている者がいるのだ。

 慰めとは、“Comfort”。それは、励ましという意味もある。窮地にある者に寄り添い、慰め、励ます、それは教会に与えられた賜物の一つなのだ。

 

 天の父なる神さま。

「慰め」という恵みを私たちに与えてくださり感謝します。あなたこそ「慰め主」です。そして、あなたの教会に「慰め」の賜物を与えてくださったことを感謝します。この世において、虐げられ、拒絶され、責められている者たちに、イエスの慰めを現わすことができますように、私たちを聖霊に満たして用いてください。

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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