詩篇第五巻 136篇
『主の恵みはとこしえまで。』
136篇の詩篇の、一字一句そのままを祈れる人になりたい。素直にアーメンするだけでいい。リズミカルな反復と端的な祈りを、一字一句たがえずに、愛する友と唱和したい!
そもそも自分のアタマでデボーションするなんて、無理がある、限界がある。神の神であられる方、主の主であられる方(2、3節)は、どんな天才のアタマを借りたって掌握することはできないのだから。
天地創造の歴史と、御技と救いの歴史、その後のイエスさまの行いー。136篇の証の内容は宗教ではなく、事実だ。実際に起こったことだと、体の中にストンとおさまると、ヘタなデボーションをせずとも、神さまの臨在と御技を感謝することができる。
「ただひとり 大いなる不思議を行なわれる方に。主の恵みはとこしえまで。」(4節)
奇跡じゃなくて、神さまの御技。私には、壮大な計画の中のほんの少ししか分からないから不思議だけれど、ハテナと思うけれど、だいじょうぶ、主は良いお方。
イエスさまの十字架への道行と、死と、復活こそが大いなる不思議。その不思議に驚いて、感動して、感謝するのが信仰の出発点なんだろう。136篇を読み返すたびに、新しい感動を味わいたい。
日常茶飯の中の、神さまの不思議な御技を一つでも多く見つけたい。見つけて感動して感謝したい。
不思議を見つけられなくても、神さまはそばにいて、憐れんでくださる。自分の愚かさや弱さを嫌悪する時も、失敗の時も、病になっても、死を迎える時すら、神さまの愛は減らず変わらず、注がれ続ける。そう信じられることを感謝したい。主の恵みはとこしえまで!
学生時代「Count your blessings」という授業があった。2人一組で、相方が「Count your blessings」と言い、受け手が「今日は忘れ物がひとつもありませんでした」などと証し、一緒に「主の恵みはとこしえまで!」と唱和する。それをテンポよく、交互にいくつも挙げていく。他愛のないものなのだが、些細なことにも神さまの存在を気づかせてくれていたと、今になって思う。
シスターが近くの自然林のある公園に誘い出してくれて、そこでよくCount your blessingsをしたから、授業というより楽しい散歩みたいな時間だった。コロコロよく笑い、大声で「主の恵みはとこしえまで!」とハモっていた友の顔が懐かしい。
神さま、136篇を自分の賛美として感謝して祈ります。限りある自分時間を超えた、とこしえの時間に思いを馳せます。祈りの中にはすべての時間があるのですね。どんな祈りでも感謝につながりますよう、私を整え、神さまの恵みをたくさん気づかせてください。感謝して、イエスさまの御名で祈ります。アーメン
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