『永遠のいのち』 アイゾン直子
永遠のいのちは、御子イエス・キリストを通してのみ与えられる賜物です(ロマ6:23)。主イエスはご自分のことを「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです」と言われました(ヨハネ11:25)。聖書が語る永遠のいのちとは、時間に置き換えられた生と死のことではなく、キリスト・イエスご自身を指し示しています。ヨハネは諸教会にいる信者たちに、イエス・キリストを信じる者は皆、永遠のいのちを持っているということを再確認させています。その理由は、ギリシア哲学の思想がキリスト教界に入り込んでいたからです。それはグノーシス主義と呼ばれ、初代教会を脅かした最も危険な異端であったといいます(https://www.gotquestions.org/Japanese/Japanese-Christian-gnosticism.html 参照)。
ヨハネは、グノーシス主義による二元論の教えとキリストの教えが混在する中で、真の信仰について説明します。イエスがキリストであると信じる者は神から生まれたこと、神を愛する者は兄弟姉妹を愛すること、神の命令を守ることは神を愛すること、神から生まれた者はこの世に打ち勝っていること、主イエスが水(いのち)と血(死)によって来られたことを信じる者は御子を心のうちに持つこと、御子を信じる者は永遠のいのちを持っていること、神から生まれた者は神に属する者だということを伝えています。この教えはすべて逆から説明しても同じ意味を示します。グノーシスのように、善と悪、真の神と偽りの神、肉体と霊というような対立させた教えではなく、すべてはイコールの関係にあるのがキリストの教えです。
ホノルル教会の今年の聖句は「神の命令を守ること、それが、神を愛することです。神の命令は重荷となりません。」でした(1ヨハネ5:3)。この聖句だけを読むと 「神の命令を守ること」と「神を愛すること」という二つの異なった命令が与えられているかのように感じますが、そうではありません。これは同じことを意味していて、それゆえ、重荷にはならないのです。たとえば、見えない明日を心配して思い悩むとき、「神さま、あなたが私を心配してくださるから、私は思い煩いません」と告白するなら、それは「思い煩うな」という神の命令に従ったことであり、「神が私を心配してくださる」ことを信じ、愛したことになります。しかもこのことによって、平安をいただくのは自分であって、重荷などには決してならないのです。
さらにヨハネは、神から生まれた者はみな罪を犯さないと書いています。なぜなら父なる神から生まれた御子がその者たちを守るからです。また悪者は神から生まれた者に触れることはできないからです。しかし16節では罪を犯した兄弟に対するとりなしの祈りの勧めについて書かれています。一見矛盾に思えますが、そうではありません。ヨハネはこの手紙をグノーシスの教えが萬栄する諸教会に宛てています。死に至らない罪(ここではグノーシスの教えに翻弄されていることではないかと思いますが)を犯している兄弟を見なたら、とりなしの祈りをして神に赦しを求めなさい、そうすれば神はその人にいのちを与えてくださるとヨハネは書いています。罪の認識を当人に与え、悔い改めに導くことは、兄弟姉妹を愛することになります。しかしそれとは反対に、死に至る罪についても書かれています。それは、罪であることを知りながらも、悔い改めず、罪を犯し続けた先に待っている霊的死の事なのではないかと思います。
ヨハネはこの手紙の最後に「子どもたち、偶像から自分を守りなさい」と書いています。これはモーセの律法にある戒めですが、グノーシス主義と呼ばれる異端の教えによってキリストの教えが歪曲された時代にあってヨハネは、キリスト教界の危機を感じていたのではないかと思います。現在、キリスト教各団体において異端とされている教団、団体はモルモン教やエホバの証人、統一教会(旧名:世界基督教統一神霊協会、新名:世界平和統一家庭連合)含め、全部で26存在しているようです(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%95%B0%E7%AB%AF 参照)。このようにキリスト教を歪曲した教えは今もたくさん存在していることを知るとき、みことばを正しく理解することの重要性を強く感じます。
またこの世にあって、物質主義や高慢、自尊心による自己崇拝も偶像礼拝です。コリント人への手紙第2に「私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくからです」(4:18)という聖句があります。誘惑は目から侵入すると言います。目に見えるものの儚さを知るなら、誘惑に打ち勝つことができます。
御子を信じる者は永遠のいのちを持っています。永遠と聞くと将来のどこかの時点でそのことが起こるかのように感じますが、聖書が示す永遠はすでに私たちのうちに起こっています。そのことを覚えて、聖書の神を知るための学びを続けて行きたいと思います。
祈り:愛する天のお父さま。御子を信じる者は永遠のいのちを持っている、とヨハネは書いていました。御子を信じる者は永遠のいのちを持つだろう、とは書いていませんでした。永遠のいのちを持つ者は神を愛し、神の家族を愛します。このことは、聖書にあるすべての戒めを完結する命令であることをしっかりと心に受け止めました。どうか、聖霊なる神の満たしによって従い続けることができますよう、導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
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