「いかなる肉の血も食べてはならない。」
なぜならば、肉のいのちは血の中にあるからです。血はいのちを表すものであり、いのちの源であるからです。また、血はいのちであって、人間のいのちを贖う手段としてもちいられるものだからです。と、聖書は語っている。
私たちが食べ、私たちが飲まなければならないのは、主の肉であり、主の血潮です。まさに聖餐式にあずかるというのは、このことを表しているのです。聖餐式とは主ご自身の血を飲み、肉を食べることであり、キリストのいのちにあずかることなのです。
ですから、血を食べてはならないと言われたことの意味は、主のいのちにあって生きるべきであるということであり、主の血とからだに対して罪を犯してはならないということなのです。
旧約時代に罪人であった人々をご自身のみもとに引き寄せるために、そのことを切に願っておられた主は、動物が血を流すことを選ばれたのです。しかし、新約になって、神は動物ではなく、ご自身のひとり子のいのちを犠牲にされました。いのちはみな尊いのですが、御子のいのちほど高価で貴いものはありません。けれども、この方を犠牲にすることによって、私たちの罪が完全に贖われるために、あえてそのようにされたのです。感謝します。
愛する天の父なる神さま。だれも血を食べてはならないことのみ教えを感謝します。御子イエス・キリストが十字架で私たちの為に流された貴い血潮を、今日も明日も、この地上生涯において心に留めて歩むことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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