『主の掟と主の定め』 アイゾン直子
約束の地カナンへの入国を前に、契約の神である主はここで、エジプトはもちろん、約束の地に先住しているカナン人たちの掟に従うことを禁じます。それらはエジプトやカナンでは認められていた不正な性行為でした。それは近親相関や同性愛、動物との性交の他、子どもを神殿娼婦としてささげることでした。これらはすべて異教的な習慣であり、神の民はこれらの風習から分離するよう命じられます。
旧約時代のイスラエルの民はことごとく罪を犯していきますが、その背景にはその土地にある風習を真似たことに起因していると思われます。彼らが行く先々にはすでにその土地に根付いた習慣が存在していました。神はそれらの罪深き民族を、時には聖絶されますが、滅ぼさずに残しておかれる民族もいました。その理由は、罪深い民族によってイスラエルの民を訓練する目的が神にはあったからです。
ユダヤ教のラビたちによればモーセの律法は全部で630あると言われています。不正な性行為もその中に含まれています。それだけ細かな律法を、しかも守り切れない律法を与えるより、汚れた罪深い民族をすべて一掃すればよかったのではと考えてしまいますが、神は愛であるがゆえにそれをなさらないのです。
神が聖絶された民族は、聖書によれば、アマレク人とカナン人です。カナン人は、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人を含みます。これらの民族は神によって聖絶されました。愛なる神がすべての民族を滅ぼしたことは受け止め硬い事実です。聖絶の理由については各神学者によって異なりますが、個人的には、神は彼らが悔い改めることを待っておられたが、彼らは悔い改めるどころか罪に罪を重ね、それらは満ちてしまったがゆえに聖絶され、幼子や乳飲み子さえも聖絶されましたが、それは彼らが罪を犯す前に主自らが天に引き上げられたのだという解釈に立っています。
いずれにせよ、旧約時代の罪に対するさばきは死に直結していました。しかしそこにモーセの律法が与えられ、それを守ることで民は「生きた」のです。
主がご自身の掟と定めを守りなさい、と言われた理由は「そうすればあなたは生きる」からでした。主は同じことをバビロン捕囚に連行された民やその捕囚を逃れた民、またバビロン捕囚から帰還した民にも語りました。さらに新約時代には、主イエスがイスラエルの民に向かって語られました(エゼ20:11,13、ネヘ9:29、ルカ10:28、ガラ3:12)。
クリスチャンにとって「生きる」とは、主の命令を守ることによる、ということを学びました。主イエスによる新しい律法のうちの、その一つでも全うするなら私たちは生きるのです。主のみことばに感謝します。
「あなたがたは、私の掟とわたしの定めを守りなさい。人がそれを行うなら、それらによって生きる。わたしは主である。」(5)
祈り:愛する天のお父さま。主の掟と定めに従うことで、私は生きるようになるということを学びました。あなたのみことばは本来の私を生かす命の水です。どうかこの水を分け合う機会が与えられますよう、導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
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