「あなたがたは、わたしにとって聖でなければならない。主であるわたしが聖だからである。わたしは、あなたがたをわたしのものにしようと、諸民族の中から選り分けたのである。」(26節)
レビ記全体のテーマは「礼拝」、そして礼拝者は「聖」でなければならないというのが全体のメッセージです。様々な規定は、社会的秩序、健全なモラル、衛生を保つためにありますが、その本質は、民を聖なるものとして、聖なる神の礼拝者としてふさわしく保つことにあります。
「聖」とは「区別」という意味があります。つまり聖なる神は、他のすべてから区別される方、聖書は他のすべての書から、聖所は他のすべての場所から区別されるという事です。聖なる神は、絶対他者なのです。
そして、私たちは神の恵みによって、この世のものから、聖なる神のものとして選り分けられたのです。「聖別」という言葉が分かりやすいでしょう。本来、聖ではない私たちが、聖なる者とされたのです。それは、聖なる神を礼拝するためです。
「わたしは、彼らのために自身を聖別します。彼ら自身も真理によって聖別されるためです。」(ヨハネ17:19)
ここで学んだことは、聖なる神の礼拝者として自分自身をこの世から聖別することの大切さです。しかしそれは、この世から離れて修道院で隠匿生活に入ることではありません。イエスが、この世に来られ、この世で生きてくださったように、私たちもこの世にありながら、この世のものではない自分を生きるのです。
毎主日の礼拝は、私たち自身が、聖なる神のものであること、聖別された者たちであることを確認する機会でもあるのです。
天の父なる神さま
私たちを、この世から聖別してくださったことを感謝します。イエスさまの十字架という代価のゆえに、私たちは神のものとされたのです。
私たちが、この世のものであるかのように生きる誘惑から守ってください。どんな中にあっても、聖別された者として、神の栄光を現わすことができますように。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
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