『娘たちの誘惑』 アイゾン直子
荒野の旅の最終宿営地となったシティムはモアブの草原にありました。そこはエリコをのぞむヨルダン川のほとり、約束の地カナンは目の前です。しかしそこにはモアブ人とミディアン人が住んでいました。モアブの王バラクは自分たちの土地に宿営しているイスラエル人たちの姿を見て、彼らを何とか追い出そうと預言者バラムを使いますが、その企みは失敗に終わりました(22‐24)。そこで次に登場したのがモアブの娘たちとミディアンの娘です。彼女たちはイスラエルの民を誘惑し、モアブの娘たちはイスラエルの民と交わり、神バアル・ぺオルを礼拝させました。ミディアンの娘もまたイスラエルの男との交わりを試みました。バラクはバラムを使った企みには失敗しましたが、彼女たちを使った企みには成功しました。イスラエルは約束の地を目前に2万4千人の民を失ったのです。
イスラエルの民が犯した罪は、モアブ人やミディアン人の娘たちとの肉体的淫行と霊的淫行(偶像礼拝)の罪でした。モアブの王バラクは、戦わずしてイスラエルを追い出そうと美しい娘たちを送りました。聖書にはこのような女性による誘惑がもたらす罪について、何度も警告を鳴らしています。なぜなら、性的堕落は人を堕落させ、世界を堕落させるからです。創世記に登場するソドムのような町は現在も存在しています。サタンは自分を神とする世界を作り上げるため、最も効果的な方法を用いているのです。その方法は常に「巧妙」であることを覚えたいと思います。
さて、ここで登場するモアブ人やミディアン人ですが、彼らはイスラエル人の親戚です。モアブ人は、アブラハムの甥ロトと彼の姉娘との間にできた子供の子孫です。彼らは性的に乱れた民族となっていきますが、唯一の例外はルツでした。またミディアン人はアブラハムの後妻ケトラの間に生まれたミディアンの子孫です。ちなみにモーセの妻はミディアン人です。このように彼らは共にアブラハムを先祖とする民族でありながら、イスラエルに敵対する民族となっていきます。その理由は、彼らの誕生がみこころか、そうではなかったか、ということが起因しているのかもしれません。しかしたとえそうであったとしても、彼らに唯一の神を信じる信仰があったなら、ルツのような救いの道が与えられていたのです。しかし彼らは自分たちで作った偶像を礼拝しました。新約時代では主イエスを拒否しました。彼らの姿から、人生とは選択の連続だという教えを思い出します。主が喜ばれる選択を願って、その一瞬ごとに祈りをささげることの大切さを痛感します。
現在、同性愛者同士の結婚を認める国に住んでいて、テレビを見れば同性愛者が堂々と結婚を報告し、コマーシャルにも起用され、映画に至っては彼らのセックスシーンが堂々と映し出されています。それらを最初に見た時は吐きそうになりましたが、何度も何度も見るうちに慣れて来たのか、見ていて気持ちの良いものではないけれど、吐き気を催すほどの嫌悪感は薄れて来ているように思います。このような光景がニューノーマルとなっていく世界を見ながら、主の日が近づいて来ていることを実感しています。主イエスの信仰に繋がっている者たちにとって主の日は喜びの日ですが、そうでない者たちにとっては嘆きの日です。これは自分が聖書預言をそのまま信じているだけで、証拠はありません。しかしこのことは伝えなければならないことです。良い人だから、親切な人だから神の国に入れると聖書は書いていません。主を信じる信仰によってのみ、なのです。
日本にいる家族や友人に一日も早く福音を伝えたい、伝えなければと気は焦るばかりです。しかし、まずはみこころを求めて祈り、聖霊の導きを信じてその日を待ち望みたいと考えています。主のみこころがこの身に成りますように。
祈り:愛する天のお父さま。荒削りの、誤解だらけの私の信仰さえもなくならないよう、祈ってくださっていたイエスさまのために今、働きたいと願います。どうかそのための必要が満たされますように。そのためのアイデアが与えられますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
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