民数記においては、神がモーセを通して語られた約束の地カナンにおける生活に必要な様々な規定や、部族ごとの定住地の指定などを示され、イスラエル人たちにカナンへの入国の準備をされました。
さてこの36章では、イスラエル人は、おのおの父祖の部族の相続地を堅く守らなければならなない、それゆえ他の部族にその相続地を移してはならないことを示されました。
27章では、マナセ族のツエロフハデには男の子がなくて5人の娘たちだけだったので、彼女たちが父の相続地を与えられないのはおかしいと、モーセに訴えました。モーセは主にこのことを告げると、主はその訴えはもっともであると言われ、彼女たちにも父の相続地を渡すように言われました。
しかしこの36章では新たな問題が生じました。では彼女たちが別の部族のものと結婚する場合その土地はその部族の相続地となり、自分たちの土地が減ってしまう訳です。それでマナセ族のかしらたちがモーセに訴えました。
そしてモーセは主の命令によって、イスラエル人に命じて語りました。「彼女たちは、その心にかなう人に嫁いでよい。ただし、彼女たちの父の部族に属する氏族に嫁がなければならない。イスラエル人の相続地は、一つの部族から他の部族に移してはならない。イスラエル人は、おのおのその父祖の部族の相続地を堅く守らなければならないからである。」(36:6-7)それで、その娘たちは、主がモーセに命じられたとおり、「ヨセフの子マナセの子孫の氏族に嫁いだので、彼女たちの相続地は、彼女たちの父の氏族の部族に残った。」とあります。(36:12)即ち、彼らが主の命令を忠実に守ったからです。
ここを読んでまず思い起こさせられたことは、私たちクリスチャンも相続地を与えられているということです。ペテロも言ってます、神は「また、朽ちることも汚れることも、消えていくこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これは天にたくわえられているのです。」(第一ペテロ1:4)
私たちクリスチャンにとって、「相続地」とは、イエス様がアレンジして下さった天に永久に住ませていただけるという永住権のようなものではないでしょうか。そして私たちはこの世にいる限り、その相続地をイスラエル人の部族のように、堅く守らなければならないということだと思います。私たちは主から素晴らしい相続地を貰っていながら、時に失いそうになることがあります。辛い試練の中で、あるいは自分が裕福になったり、人々の間でちやほやされて高慢になるような時、主から頂いた相続地を忘れて、失ってしまいそうになるのではないでしょうか。しかしどんな時でもこの与えられた相続地への確信を忠実に持ち続けなければならないと思います。そしてこれは可能だと思います、私たちには既にたましいの救いと永遠の命が与えられているのですから。
愛する天のお父様、今日のみことばを感謝します。イスラエルの民が、主が約束されたカナンの地で与えられる相続の地を信じ、常に頭に描き、主の約束を堅く忠実に守ったように、私たちもまた主の約束を、やがて天において自分のものとすることができると堅く信じ、忠実に守らせてください。 アーメン
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