『天の御座』
使徒ヨハネは主イエスが十字架に架けられ、そして槍で刺され、十字架から引き下ろされた時に、そのカルバリの丘に居た唯一の弟子です。そこでは母マリアも、主を愛した女性たちも一緒にいたと聖書は語ります。おそらく、十字架から下ろされた息子、主イエスに母マリアもヨハネもしがみついて泣いたのではないかと思うのです。その時にヨハネの手には主イエスの血が付いたのではないでしょうか。主に愛された弟子で最後まで一緒であったので、神の御座まで引き上げられたのではないだろうかと思うのです。この御座でヨハネは、この地に、将来必ず起こる光景を示され私達に伝える役を負わされたのです。ヨハネはまさに主の血潮を浴びた弟子でした。
天の御座は宝石に囲まれて、その周りに24の長老が座っている、これはイスラエル12部族の代表と12使徒かもしれない、そして神の7つの御霊、この御霊が7つの教会の御霊なのだろうか、そして4つの生き物、この生き物は特にエゼキエル書1章にも出てきている生き物のようなケルビム、エデンの園を守るもの、もしくはイザヤ書6章のセラフィムのように、人間の顔、獅子の顔、牛の顔、鷲の顔を持つ、その意味する所は恐らく、最大の力と最も柔和な奉仕、最も充実した知性と最も高揚した霊性を地上の動物を通じて表している。
そうして神学者は、この動物たちの意味を4福音書の著者たち、マタイの福音書では獅子(最大の力)、マルコは牛(柔和な奉仕)、ルカは人間(充実した知性)とヨハネは鷲(高揚した霊性)をそれぞれ表現していると素晴らしい解釈をしている。
この四つのケルビムが三位一体の神を拝んでいる8節後半「聖なる、聖なる、聖なる、主なる神、全能者。昔おられ、今もおられ、やがて来られる方。」ここに神が過去の旧約時代には父なる神が舞台の中心になっておられて御子を遣わされ、今は恵みの時代として聖霊が与えられて、やがて来られる神の御子、子羊イエスが来られる事を示しているのです。
天の御座では賛美と礼拝がケルビムによって、24人の長老によって、やがてそれは信ずる者すべてが加わり、自然界も加わって宇宙大のコーラスとなってゆく様子がヨハネによって描かれています。私達は肉体が滅んで、天に召される時には、この世のものは何一つ持って行くことはできませんが、ただ一つだけ持って行くことが許されているのは、主への賛美かもしれません。私達は天の御座の大コーラス、宇宙大のコーラスに加わる席が用意されています。
ヨハネの黙示録の持つイメージは、恐ろしい大患難のイメージが強いのですが、実は希望の書として主イエスを信じる者たちが救われ、天の賛美に加えられる天の出来事と、主イエスを最後まで受け入れない者たちへの裁きの両方が示されているのです。私達はこの二つの道を示されています、希望の道を選ぶか、裁きの道を歩むか、これが人類が向かっている主の日が、主が愛された弟子ヨハネを通じて、私達に示された最大の贈り物と思うのです。
祈り
主は、聞き続けよ。だが悟るな。見続けよ。だが知るな。とイザヤ書で仰ったように、私達は主によって目を開かれなければ、悟理、知ることができません。どうか理解が難しい黙示録ですが、私達の目を開き、これから起こる事を正確に知り、まだ主を知らない者たちに伝えることができますように、導き下さい。アーメン
文:森 宗孝
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