2023年12月19日 申命記3章
- hccnichigo
- 2023年12月19日
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『聞かれない祈祷』
申命とは聞きなれない言葉ですが、 英語ではDeuteronomy、第二の、重ねて、もう一度言って聞かせるという意味です。ヘブル語名は「ことば」という題名で、訓戒の言葉として反復された書です。

申命記は全体にわたって、ユダヤ民族12部族の土地、主はエジプトの奴隷からユダヤ民族を救い出されたという事実と、約束の地に入らせるという目的、その理由、主が先祖に誓ったからであるという史実がもう一度確認するごとく示されているわけですが、3章では目的である約束の地に向かうユダヤ民族が記されています。
イスラエルの地理を想う時に、ガリラヤ湖から死海に流れているヨルダン川で東側と西側に分けられます。丁度オアフ島では、中央の山並みを境にして、西側がホノルル、カイルアやカニオヘは東側と呼ぶのに似ています。
3章では、モーセがこの東側で、これから約束の地、カナンの地、西側に向かう前哨戦となる戦いが記されています。地図の一番下に死海の東側にモアブがあり、2章ではモアブと敵対してはならないとありました。ですからその上にやがてルベン族(薄茶)、ガド族(黄色)そしてマナセ族(緑)での主に導かれた戦いが3章に記されているのです。特にバシャンという場所は、緑色のガリラヤ湖東側、ゴラン高原のある場所から一番上のヘルモン山までの場所です。
25節でモーセは神にお願いを立てています。「どうか私が渡って行って、ヨルダン川の向こう側にある良い土地、あの良い山地、またレバノンを見られるようにしてください。」ところがこの祈祷は聞き入れられない祈りでした。その理由は民数記27章12~14節に、モーセが岩を打って水を出した時に、わたしが聖であることを現さなかった。モーセは民に対する怒りもあって、主の言う通りに岩を叩かず、杖で二度も打ったことが原因だったのです。
私たちから見ると、エジプトの地から約200万人以上のユダヤの民を連れて、荒野で生活しながら、神とのとりなしをしたモーセ、ヨルダン川を渡って約束の地を見せてから息絶えたとなった方が分かりやすいのですが、神の聖とは一点の間違いもない完全な聖であることが強調されています。偶像礼拝し道徳的に乱れた民を聖絶する事も、選ばれた民が聖なる民へとなるがために必要であったのです。さてここで、たとえモーセであっても、彼の聞き入れられなかった祈祷が、いかに神が聖なるお方であるかを示しており、モーセではなく、唯一の神、主がエジプトの地からユダヤ民族を救い出し、主が荒野で守り、鍛えたかを強調して決して人の力では無かったことを改めて示しています。
祈り
私たちは、簡単に他人の罪や失敗に対して指をさしたり、なんていう人だと思ってしまいますが、そのような時に、自分にある闇が見えなくなってしまいます。自分が緋のように紅のような罪人であることを忘れております。そのような私たちを聖絶される事なく、主イエスが十字架によって私達の罪を赦されて、羊のように真っ白にして下さった事に感謝いたします。 アーメン
文:森 宗孝
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