コリント人への手紙 第二 8章
私たち人間は、身近な人であればあるほど、その人の弱さが見えてきます。色々と目についたり思ったりすることがあると思います。自分の気持ちに余裕があり、他人のことを考慮できる時もあれば、余裕がなく焦り、不安を感じ、他人に気配りができないときもあります。
8:14「今あなたがたのゆとりが彼らの不足を補うことは、いずれ彼らのゆとりがあなたがたの不足を補うことになり、そのようにして平等になるのです。」
仕事でも、心に余裕があり、今日は調子がいいぞ、と思う時はお客さん1人1人に気配りができますが、忙しくて人手が足りない時は、自分のことで精一杯になってしまいます。完璧なホスピタリティーをお届けするのは大変なことなのです。
ヨハネ8章では、律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捉えた女を連れてきて、女を石打ちにしようとしました。ですが、イエスは静かに言われました。
ヨハネ8:11「わたしもあなたにさばきを下さない。行きなさい。これからは、決して罪を犯してはなりません。」
イエス様のように、罪を赦してくださる、寛大な心、そしてその人のために祈ること。兄弟姉妹に祈ってもらい、祈ってあげる、そのような自分の中でのゆとりや、相手の欠点、不足を補え合えるような人に私はなりたいです。
そして、8章では私たちに大切な献金のことについて書かれています。
8:15「たくさん集めた人にも余ることはなく、少しだけ集めた人にも足りないことはなかった。」
神様は私たちを満たしてくれるお方です。悩んでいる兄弟姉妹がいれば、助けてあげる。そのように、お互いを助け合い、お互いの必要を補っていく義務が私たちにあると思います。そして、それが、神の望んでいることだと私は思います。
神様、私たちは互いがお互いを必要としていることを忘れてしまう時があります。なんていう罪でしょう。私たちは自分のことばかり考えてはいけません。常に兄弟姉妹を思い、祈り、支えあっていく。そんな人間に私を変えてください。困っている時に支えてくれる教会、そして兄弟姉妹がいることを感謝します。常に祈られ、サポートしてくれる教会、兄弟姉妹のために何かできることがあるのであれば、私をどうぞ、あなたの一人の弟子としてお使いください。アーメン。
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