ヨエル書2章
「主の心」
小預言書の二番目のヨエル書は全体で3章しかありません。 第1章で預言されているイナゴの来襲は、すべての国民への警告でした。そして、ヨエルは2章で、いなごと「主の日」を関連付けています。「主の日」について預言するヨエルですが、後に使徒の働き2章の16節から21節でペテロが引用しているほど、イスラエルの人々にとっては大切な預言書でした。「これは預言者ヨエルが預言していたことに外ならないのである。終わりの時には、主の名を呼び求める者は、みな救われるであろう。」(使徒の働き2:16-21抜粋)
2章前半は、ヨエルの時代に起こった出来事について預言されていますが、後半からは、終末、イエス様が再び来られる再臨の時の出来事を預言しています(終わりの時代)。
「その後わたしはわが霊をすべての肉なる者にそそぐ。あなたがたの息子、娘は預言をし、あなたがたの老人たちは夢を見、あなたがたの若者たちはまぼろしを見る」(28節)
「その日わたしはまた、わが霊をしもべ、はしため、」(29節抜粋)。 これは聖霊のバプテスマを示している預言でもあり、どの世代の上にも主の霊が注がれることを約束している御言葉です。今の時代のわたしたちにも主の霊が注がれていることを感謝します。
旧約時代は神の霊は特別な人にだけ注がれていましたが、ペテロの時代からは、性別、年齢、身分や国に関係なく、全ての人に神の霊が注がれているということです。これが、”異邦人”である私たちにとってどんなに素晴らしいかを再認識して、大いに歓迎します。
そしてまた、13節では、「あなたがたは衣服ではなく、心を裂け。あなたがたの神、主に帰れ。主は恵みあり、あわれみあり、いかることがおそく、いつくしみが豊かで、災いを思いかえされるからである。」とあり、内側からの悔い改めは、主の真実さ、正しさ、憐れみ深さから始まり、その主の御性質を持つようになるためのものであり、私達自らの罪や弱さ、肉を見続けなくてよいのです。今週のマーク今村氏によるメッセージ「WE BECOME LIKE WHAT WE WORSHIP」を思い出させます。
愛するイエス様、あなたの御名をほめたたえます。今日も主の愛と恵みが豊かに注がれていることを感謝いたします。主よ、あなたは憐れみ深く、恵み深く、怒るに遅いお方であられます。そのようなお方から注がれるいつくしみが真の悔い改めへと私を導いてくださることを感謝します。どうか聖霊様を通して御言葉を私のうちに刻んで下さり、神の御言葉を預かり、それを解き放つ者へとますます造り変えてください。愛する主イエスキリストのお名前によってお祈りします。アーメン
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