『真の牧者』
前の9章と10章ではメシアの到来とその祝福が預言されていたけれど、一転、11章ではメシアの拒絶とその結果、神さまの厳しいさばきが宣告される。神殿とエルサレムは崩壊し、イスラエルの民もちりじりに離散。1948年まで長きに及んで国を持たない民としてさまよう歴史を歩んだ。
真の牧者であるメシア=イエスさまの初臨を否定したイスラエルの民のまわりには、ニセ牧者が横行した。確かに神さまを主語とせず、自分を主語とする自我が勝りがちな私たちにも、ありうる性向だ。どうかすべての道で、主をみとめる者となれますように。
それにしても主はなぜ、「屠られる羊の群れを飼え。」(4節)と言われるのか? 屠殺する目的で羊を売買するとは?
三人の牧者(8節)とは誰のことか? 比喩と飛躍が難しすぎてチンプンカンプンだ。
解説書を読むと、「旧約聖書の中で難解で最も謎に満ちている章」とあって、ホッとした。分かりにくくていいのだ。
と、12節と13節は新約にリンクしていることが分かった。
「すると彼らは、私の賃金として銀三十シュケルを量った。主は私に言われた。「それを陶器師に投げ与えよ。」(抜粋)
マタイ26、27章などの記述。イスカリオテのユダがイエスさまに絶望して銀三十シュケルで密告したこと。後悔して銀貨を神殿に投げ込んで逃げ、その金で陶器師の畑が買われたできごと。これを以て、ゼカリヤの預言が成就したのだ。
そうしてイエスさまも預言される。
「エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者よ。わたしは何度、めんどりがひなを翼の下に集めるように、おまえの子らを集めようとしたことか。それなのに、おまえたちはそれを望まなかった。見よ。おまえたちの家は、荒れ果てたまま見捨てられる。わたしはおまえたちに言う。今から後、『祝福あれ、主の御名によって来られる方に』とおまえたちがいう時が来るまで、決しておまえたちがわたしを見ることはない。」(マタイ23:37〜39)
十字架のあがないと復活によって罪を赦し、聖霊さまを宿してくださったことを感謝します。再臨を約束してくださったことを期待して待ちます。
イエスさまのお名前で感謝して祈ります。アーメン
Comments