『きよい心と健全な良心と偽りのない信仰から生まれる愛』 アイゾン直子
パウロは偽教師たちの教えによって混乱するエペソ教会を案じ、信頼するテモテを送ります。しかし彼はまだ若く、また臆病な性格であったため、パウロは手紙を通して彼を励まし、教会にある種々の問題に対する適切なアドバイスを与えます。彼はまずテモテに、偽教師たちの教えに惑わされないようエペソ教会の人たちに命じなさいと伝えます。無意味な議論は人を神の愛から離れさせ、更には主の救いのご計画の実現の妨げとなります。パウロは教会のすべての人に初めの愛「きよい心と健全な良心と偽りのない信仰から生まれる愛」に立ち返るための指導をテモテに委ねます。
エペソ教会にいた偽教師たちは、主イエスが語られた福音とは異なる福音を教えていた人たちでした。彼らが信者でないのであれば、その教えを聞くことはなかったと思います。しかし彼らもまた、福音を信じた人たちでした。同じクリスチャンの中に、しかも指導者の中に、異なる福音を伝える者がいるなどとは誰も信じたくはありませんが、聖書はその存在について警告を発しています。
彼らは聖書の教えよりも自らの考えを優先した結果、カルト教会へと変貌していきます。エホバの証人やモルモン教、統一教会といった団体から無名の教会など、聖書解釈を歪曲した結果、聖書が教える福音とは異なる福音を宣べ伝えています。更に今の時代、誰もがオンラインでいろいろな教会の礼拝を聞き、聖書の学びも出来るため、みことばが無限に伝えられるという意味では有益ですが、偽教師によるサタンの働きも加速します。
パウロがテモテに委ねた働きは、現代の教会にも委ねられています。きよい心と健全な良心と偽りのない信仰から生まれる愛は、偽りの愛を見抜きます。聖書が教える福音について確認したいと思います。救いは、信仰によって与えられる神の恵みです。もし信仰以外のことを求められるなら、それは福音ではありません。わざによる救いを説くなら、主イエスの十字架の死は無意味になります。主イエスは罪人を救うため世に来られ、律法はその救いを求めさせる道しるべとなったのです。決して律法によってさばかれないための救いではないことを確認したいと思います。救いは信仰と恵みによるもの、それは主イエスの十字架の贖いによって完成しました。このことに一つでも足したり、または引いたりする教えを聞いたなら、それは福音ではありません。
「しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。神はまた、キリスト・イエスにあって、私たちをともによみがえらせ、ともに天上に座らせてくださいました。それは、キリスト・イエスにあって私たちに与えられた慈愛によって、この限りなく豊かな恵みを、来るべき世々に示すためでした。この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」(エペソ2:8‐9)
祈り:愛する天のお父さま。テモテはとても若い牧師であったと聞きます。私たちの教会からも他の教会を委ねられた若い牧師たちがいます。どうぞ、彼らの働きを守り、導いてくださいますように。年齢に関係なく、大胆にみことばを語り、主のご用を全うすることが出来ますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
コメント