『エサウとの再会』 アイゾン直子
いよいよヤコブは兄エサウと再会します。長子の権利の出来事から20年ぶりの再会です(創世記31:38)。普通なら喜びとなる日が、彼にとっては恐怖の日であったと思います。ヤボク川での神との格闘はヤコブに勇気を与えましたが、それでも復讐に備えて愛する妻ラケルと息子ヨセフを行列の最後尾に置いた彼の行動は、兄に対する不信と恐れから来ていたものではないだろうかと思います。
エサウをなだめようと用意したたくさんの贈り物の行列の後、ヤコブは妻や女奴隷たちの先に立って進み、兄が近づくまで7度もひれ伏しました。この行為は最上級の敬礼を示すものであったと言われています。ひれ伏しているヤコブのもとに走り寄った兄はヤコブを抱きしめ、口づけをしました。この兄の行動はヤコブを驚かせただろうと思います。しかし二人はこの兄の行動をもって和解を果たし、涙を流して再会を喜んだのです。
「案ずるより産むが易し」とはまさにこのことです。ヤコブとエサウは呆気なく仲直りをしました。ヤコブを殺そうとしていたエサウの姿など微塵も存在していません。彼もまたヤコブ同様、裕福になっていたようですから昔の出来事など忘れたのかもしれません。再会を喜んだ二人は家族を紹介するなど、和やかな雰囲気が続きます。エサウはヤコブに「さあ旅を続けて行こう。私があなたのすぐ前を行くから」と自分がこれから住むセイルに彼を招待します。招待を受けたヤコブは一緒に参りますと答えますが、彼らはスコテと言う町に移動、その後カナンにあるシェケムに向かいます。
なぜヤコブはエサウと共に行くと言いながら別の町へ行ったのか、またエサウはそれをどう思ったのかなど、このあたりの二人のやり取りには矛盾を感じますが、その理由について聖書は何も語っていません。わかることは、彼らは結局別々の道を歩み、父イサクが死ぬまで会うことはなかったということです。
神は殺意を抱くほどのエサウの憎しみも、それを恐れたヤコブの悲しみもすべてご存じで、そしてそれらを見事に解決されました。私たち人間の努力ではどれだけの時が過ぎようとも、自らが作り上げた恐れと言う壁を壊すことは出来ません。しかし全知全能であられる神は一夜にして解決されるのです。自らの考えで解決しようとするのではなく、まず主に祈り委ねることの大切さを思います。そして自分は罪を犯さないよう平安をいただいて、主の時を待つ信仰を求めたいと思います。
祈り:愛する天のお父さま。主よあなたは「からだを殺しても、たましいを殺せない者たちを恐れてはいけません」と言われました。そして「むしろ、たましいもからだもゲヘナで滅ぼすことができる方を恐れなさい」と言われました(マタイ10:28)。私の心の中にある恐れという壁をどうか壊してください。そしてあなたのみことばのみが私の心や感情を支配してくださいますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
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