「主、主は、あわれみ深く、情け深い神。怒るのに遅く、恵みとまことに富み、恵みを千代まで保ち、咎と背きと罪を赦す。しかし、罰すべき者を必ず罰して、父の咎を子に、さらに子の子に、三代、四代に報いる者である。」6節~7節
33章でイスラエルの民は自分達のために鋳物の子牛を造ってそれを崇拝していたにもかかわらず、主は、イスラエルの民と再び契約を結ばれるのである。罰すべき者は三代、四代にわたるが、しかし、恵みは千代にまでわたってくださるということである。何という主の忍耐、愛、あわれみ、恵みでしょうか。
主は、もう一度モーセをシナイ山に登らせ彼に語られたことを、今度はモーセ自身が主と40日40夜ともにいて、10節から24節に述べられている新しい契約のことばを書き記したのである。「十のことば」は十戒といわれるもので石の板に刻みこんだのである。モーセにとって40日の主と共にいる経験は大きな恵みであったでしょう。
シナイ山から下りてきたモーセの顔は、主と語られたゆえに輝いていたのである。それをみた人々は恐れて彼に近づくことができなかったと語られている。これが主の栄光をあらわすということではないだろうか。40日も主との深い経験をしたら私たちも顔が輝いて主の栄光をあらわすことができるのでしょう。
いや、他のかたちでもできるのではないだろうか。主のみことばを語っている時、賛美をしているときに涙する時、そして、先週の関牧師のメッセージのなかから、自分の権利、自由、利益よりも、愛することを選んだ時、などは、本人には見えないけど、そこにはきっと神の栄光があらわれていると思う。
愛する天の父よ。モーセが40日もあなたと共におられたことにとてもうらやましく思いました。罪人である私たちは、あなたを見ることはできませんが、聖書をとおして、祈りをとおして、賛美をとおしてあなたともっとたくさん交わっていくことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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