「罪の中で生まれる人間」
レビ記10章から15章までは、聖なることと汚れとの区別が続いています。そしてこの12章では、人間は生まれながら原罪を持って生まれてくる事の説明のため、まずは神が選ばれた民、イスラエル民族に示された箇所と思います。何故、女性が子供を産むと不浄なのか、それは私達が生まれながら神の前には罪人であるからです。
詩篇51篇5節「ご覧ください。私は咎ある者として生まれ 罪ある者として 母は私を身ごもりました。」 汚れて、罪ある者ですから神と契約を結びきよめられる必要があるのです。
レビ記12章4節後半「そのきよめの期間が満ちるまでは、いかなる聖なるものにも触れてはならない。また聖所に入ってはならない。」 男の子は7日間は神との契約の外であって、八日目に神と契約を、割礼をする事によって契約を結ぶので、母も息子もきよめられます。この時代には、家の首長となり霊的なリーダー、戦闘要員の男性がまず神との契約者ですから、女の赤ん坊の場合には、8日目の神との契約がありませんから、もっと長くきよめに時間がかかるのです。
なぜ割礼が要るのか。男として色々と考えてみますと、子供の頃は他の男の子と並んで野外で立ち小便などします。ユダヤ人の子供がよその子供達と遊んだ時に、自分だけ割礼を受けてる事を見て、他の子供から囃し立てられる事もあるでしょう、その時、これは神との契約なのだと説明する、ユダヤ人は神と契約する民だと、子供の頃から教えられて育った、そのような場面を想像してみました。
ユダヤ人はキッパという丸い帽子を被ります。自分もエルサレムの嘆きの壁に行った時に、自由に、ただで使えるようにキッパの箱が置いてありました。ユダヤ人に敬意を表するためにキッパをかぶって嘆きの壁で祈りましたが、これは割礼と同じように、自分たちの頭上には、いつも神がおられる事を思い出す為の物です。同じようにイスラエルのホテルの部屋の全ての入り口、戸口にはメズサと呼ばれる箱が、貼ってあって、ユダヤ人は入室する時に必ず、まずメズサに触ってから入ります。
これは申命記6章にある『聞け、イスラエルよ」で始まる聖句が記されているそうです。このように今でもユダヤ人は、割礼、キッパ、メズサと色々な行事を通じて神との契約の民としての認識を持っているのです。
コリント人への手紙第一15章21~22節「死が一人の人を通して来たのですから、死者の復活も一人の人を通して来るのです。アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストにあってすべての人が生かされるのです。」
私たちは原罪を持って生まれて来ましたので、その先終わりには、罪の結果として死が待ち構えています。しかし復活された主イエス・キリストを信じる信仰によって、私たちも復活の力を頂く事ができるようになりました。この新しい契約は、割礼もキッパもメズサにも勝る契約で、私たちの心の中に刻まれて、助け主、主の聖霊によって確認する事ができる神の約束です。私達には石に刻まれた律法ではなく、心に刻まれた主の愛の律法があります事を感謝致します。
祈り
主イエス・キリストの十字架による新しい契約に感謝いたします。復活の約束を頂いている者として、この罪に満ちる世の中で、復活の希望を心に抱きながら、精一杯みこころにそって生きる事が、常に喜びとなりますように 祝福を頂き感謝致します。 アーメン
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