この章には、ツァラトという皮膚病に関することが記されています。
「どのようなときにそれが汚れていて、また、どのようなときにそれがきよいのかを教えるためのもので、ツァラトについての教えである。」(57節)
このツァラトということばは、原語の発音のままを表記したものです。別の訳では、「重い皮膚病」と訳されています。
昔、このツァラトは、らい病(ハンセン氏病)と訳されていましたが、らい病患者の方々にあらぬ差別をもたらしてはならないということで訳語が変わりました。
この皮膚病は、感染性があるようです。ですから、事細かにその扱いについて記されています。この病は、祭司によって診断されていました。
ただ、これは単に病気の扱いについて記されているだけではありません。レビ記のテーマは「礼拝」です。礼拝において大切なのは、礼拝者である自分自身を聖なる捧げものとして献げることです。
「ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。」(ローマ書12章1節)
ここで教えられることは、自分自身の礼拝者としてのあり方です。実際には、身体にも、心にも、霊的にも、完璧ではない自分です。本来ならば礼拝の捧げものには相応しくない者です。レビ記の時代においては ”けがれ”に属する者です。
しかし、私たちは主イエス・キリストの十字架の血によって罪が清められ、その血によって買い取られ、聖なる神のものとされたのです。
ですから私たちは、神に喜ばれる聖なる生きたささげ物として、自分自身を神に献げることができるのです。
私たちが主を礼拝することができるのは、イエスの十字架の恵みのゆえであることを、この章を通して学びました。
天の父なる神さま
本来、あなたへの捧げものとして相応しくない私たちですが、イエスさまの十字架の恵みのゆえに、あなたを礼拝できる者としてくださったことを感謝いたします。
常に、自分をきよく保ち、真の礼拝者として、主よ、あなたを礼拝するものでありますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
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