今日のデボーションの個所、レビ記15章のまとめが最後の32節に記されてあります。「以上が、漏出のある者、また精を漏らして汚れた者、また月のさわりで不浄な女、また男か女で漏出のある者、あるいは汚れている女と寝る男についてのおしえである。」 聖書の中では、何とも不思議な、汚らわしい章ではないでしょうか。その主題は男女の生殖器からの漏出物についてです。
この章の中には、男性の病としての「漏出」、「隠しどころ」(これは男女の生殖器のこと)、「男性の精の漏出」(精液を漏らすこと)、「女性の生理期間中の漏出」、また「普通の生理期間より長く続く漏出」(イエス様の着物に触って長血を癒していただこうとした女の病がそれです)などという言葉が示されてあり、眉をしかめる章です。「聖書」というのは、聖いことしか書かれていない書のはずではないのか、という疑問が湧いてきます。
聖書の中で、性器から出てくる漏出物など、誰も読みたくはないでしょう。それでも主が、わざわざそれらのことからくる汚れについて語っておられるのは、私たち人間がどれだけ汚れた者であるかを示すためだそうです。 確かにそうです。聖書の中には、人間の汚らわしさ、弱さ、失敗、高ぶり、罪深さとか至る所に書かれています。カインがアベルを殺した話、ノアの時代の人々がすごく乱れていたとか、ダビデとバテ・シェバの話など、数えきれないくらい記載されています。しかしこれが本当の、隠すことのない人間の赤裸々な姿ではないでしょうか。神様が、人間とはこういうものなのだということをはっきりお示しになるためだと思われます。
しかしこの19章では、男女にどんなに汚らわしい漏出があっても、その人は主の癒しの制約に従うことによって、最終的にはきよめられることを教えています。例えば、漏出に病む人が、ここに示されている主の教えに従って、漏出が止んだ時から数えて7日の後きよめられ、8日目に二羽のハトを祭司のところへ持って行き、贖ってもらいなさいと言ってます。(13~15節)そこに、愛の神、恵の神、救いの神、寛容の神を見ることができます。
祈り:愛する天のお父様、今日のディボーションの章を学ぶことができて感謝です。こんな汚らわしい事柄でも聖書に記載して下さる理由が分かりました。感謝なことです。そして、このように汚らわしい我々人間でも愛して聖く保っていてくださるあなたの偉大さを崇拝します。アーメン
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