『ヤコブよりダビデまで』
イスラエルと命名されたヤコブから、やがて12部族となる息子達が生まれ、その中のユダからダビデに繋がる本流と、他の子供達からの支流が描かれている。今日は特に注目したいのは、この家系の中に、主が彼を殺されたというユダの長子エル(3節)や主の信頼を裏切ったアカン(7節)など、主の目に悪と見なされた者達もいたということ。人間的な欲の目で栄光の王ダビデの系図を作成するのであれば、主から聖絶された祖先を外してもおかしくない、そうしてダビデ王を祭りあげる事も出来たかもしれない。しかし、醜い真実をも描く事で、この聖書の歴史書としての信頼性があると思う。
ユダの子エルがなぜ聖絶されたのか、聖書に説明は無い、しかしアカンの方はヨシュア記7章20節「アカンはヨシュアに答えた。「確かに、私はイスラエルの神、主に対して罪を犯しました。」こうしてアカンは石打ちにされて、アコルの谷の石くれに葬られた。とあります。採ってはならないと主が言われた、金の延べ棒や銀2百シェケル、外套などを分捕り品として隠し持っていたのでした。
他の名には、多少馴染みがあります。12節「ボアズはオベデを生み、オベデはエッサイを生んだ。」
ルツ記4章に、モアブの地から息子達を失って、一人のモアブ人の嫁、ルツを連れて故郷のベツレヘムに戻ってきたナオミの親戚であるボアズが、彼女達を助け、やがてルツと一緒になる話が出てきます。彼から、ダビデの父親となるエッサイが生まれてきたのです。
イザヤ書11章1節「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ」とありダビデの父親からやがてメシアである主イエスが生まれるとの預言となっていることを思い起こしました。
祈り
難解なイスラエルの歴史ですが、主の道を踏み外すだけでなく、主の信頼を裏切る事は命に関わること。今は私たちのために、主イエスの命である聖霊を頂いておりますが、その聖霊を見捨てることにもなり、暗黒の世に落ちることになってしまうのでしょう。どうか我らを試みにあわせず、悪より救い出したまえ。アーメン
文:森 宗孝
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