ダビデ王ほど神様を畏れ敬い、賛美した王はいなかっただろうと思う。そして、9節から11節で起こった事件に恐れおののく。さあ、見てみよう。
8節 ダビデと全イスラエルは、歌、竪琴、琴、タンバリン、シンバル、ラッパをもって、神の前で力の限り喜び踊った。
9節 彼らがキドンの打ち場まで来たとき、ウザは手を伸ばして、箱を押さえた。牛がよろめいたからである。
10節 すると、主の怒りがウザに向かって燃え上がり、彼を打った。彼が手を箱の上に伸ばしたからである。彼はその場で、神の前で死んだ。
11節 ダビデの心は激した。主がウザに対して怒りを発せられたからである。その場所は今日までペレツ・ウザ(ウザに対する憤激)と呼ばれている。
なぜウザはここで打たれなければならなかったのだろう、と疑問に思った。誰でも落ちそうな箱に咄嗟に対処しないだろうか?
調べてみると、聖書には「牛がよろめいた」と書いてある。だが、箱が落ちそうだ、とか落ちるとかは書かれていない。ウザは、神の面目を保つためには自分が介入しなければならないと考えた。これは、神の前における傲慢であり、神の命令よりも自分の判断を優先させる姿勢である。との説明があり納得。しかも、ただの箱ではなく神の臨在をあらわす契約の箱である。この聖なる箱は、人が触れてはならないとの神の命令がある。(IIサム4:15)
これは自分がウザでもやっていただろうな、と猛省した。考えてみると今までも、知ってか知らずか自分の判断を優先させた行動にいくつか覚えがある。
神の計画は人間の考えや感覚では測りし得ない。知識として分かっていても行動が伴わない。それが日常茶飯事の私である。
天の父なる神様、
あなたの教えに従順で、御教え通りに行動できるよう私を練って下さい。ともすれば、寄り道して罪をおかす弱い人間です。どうか日々迷わないよう導いて下さい。主イエス・キリストの御名により祈ります。アーメン
参照: seishonyumon.com
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