「まず、主のみことばを伺ってください。」4節(抜粋)
ヨシャファテ王は富と誉れが豊かに与えられましたが、アハブ王との姻戚関係に入ったために状況が変わっていくことが述べられています。
アハブ王はヨシャファテ王にラモテ・ギルアデを一緒に攻めることを誘います。その誘いのヨシャファテ王の応答が3節で述べられていますが、彼はあまりにもお人よしな人だなと思わされます。「私とあなたは一つ、私の民とあなたの民は一つ、私の馬とあなたの馬は一つです。ともに戦いに臨みましょう。」
しかし、ヨシャファテ王が敵陣に攻めることに承諾した時に言ったもう一つのことはとても大事なことだと思います。それは、主のみこころを求めるように願うことです。主のみこころを求める願いを持つということは私たちにも言えることでしょう。主のみこころがどこにあるか、何であるかを、私たちは祈っていくことです。
アハブ王は400人の預言者を集めて彼らに尋ねた。彼の預言者たち全員が攻めるべきだと語ります。しかし、ヨシャファテ王はそれに満足せずに、他にも主の預言者はいないかと尋ねます。アハブ王は一人の預言者ミカヤのことを言いました。自分に対して、いつでも悪い預言ばかりするので嫌いであることも付け足しました。このことに対して、7節(抜粋)でヨシャファテ王が言ったことに心が動かされました。「王よ、そういうふうには言わないでください。」つまり、このことは、預言者を自分の好き嫌いで判断してはいけないという意味だそうです。そして、ミカヤが呼ばれて、主のことばを宣言しました。それは、アハブ王が戦死して、イスラエルの民は羊のように散らされると預言します。アハブの怒りによってミカヤは投獄されますが、ミカヤの預言した通りになり、アハブ王は、敵が放った矢を受けて死にます。
語られたことは、主は400人の預言者に偽りを言う霊を授けられたというところについて、私でも400人が同じことを預言するなら、それが偽りの霊とは知ることができずに、ただ数で判断してしまうでしょう。すぐ信じてしまうでしょう。本当にそれが主のみことばなのだろうかと疑うことも大事だと関牧師のあるメッセージで語られていたことが思いだされました。
父なる神さま。主のみことばがどこにあるのかを耐えず、祈り、信じて、求めていくことができますように成長させてください。そして、主が私たちに義なる道を示していただけますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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