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2024年12月11日 歴代誌第二31章

「ヒゼキヤはユダの全地でこのように行い。その神、主の前に、良いこと、正しいこと、真実なことを行った。彼が始めたすべてのわざにおいて、すなわち、神の宮の奉仕において、律法において、命令において、彼は神を求め、心を尽くして行い、これを成し遂げた。」(20、21)


 前章においてヒゼキヤは過越しの祭りを復興した。そして31章では、民の捧げものから祭司とレビ人の受ける分を管理し、分配するようにした。このことは、主の前に良く、正しく、真実なことであった。


 旧約の時代には、神殿における祭儀を執り行うための祭司(アロンの子孫)と、それを補佐し神殿の様々な働きに携わるレビ人(レビ族)がいた。この者たちは、自分の土地、財産を持たない。その代わりに民の捧げものから生活の糧を得ていた。


 この祭司、レビ人とは、現在においては、人々の献金から生活の糧を得ている牧師に似ている所がある。ただ旧約時代のシステムをそのままそっくり現代の牧師制度に適用することはできないし、祭司とレビ人が現代の牧師のモデルということではない。しかし、本質的な事において、私たちは聖書から学ぶことができるだろう。


 キリスト教会の歴史の中で、教会における牧師の立場というものが様々に変遷されてきたが、ホノルル教会は、牧師制度を採用している。米国では、牧師は自営業者のカテゴリーに入っている。つまり教会から雇用されているのではなく、お互いの合意と契約のもとに成立している関係ということだ。それは教会は、その牧師が神に導かれていることを、牧師は自らが神にこの教会に導かれていることを、この神の導きに関して両者の合意のもとに成立している関係と言える。この関係性のゆえに、正確には、牧師は給与ではなく謝儀を受け取っているという理解である。このヒゼキヤの行った、良い、正しい、真実なこと、つまり祭司、レビ人の立場と生活を守るということは、現在の牧師制度にも受け継がれている。


 現代において、特に日本においては、一つの地域教会のサイズが小さいために、一人の牧師の生活を支えるだけの謝儀を支払うことが出来ないために、牧師が二つ、三つの教会を牧会することや、牧師が牧師以外の仕事をしながら生活の糧を得るということが一般的になりつつある。これは、日本だけではなく米国においても見られる傾向である。


 この現状の中で、キリスト教界において、牧師制度というものが問い直されている。私たちは、教会が主から委ねられた宣教命令を果たすために、どのような形が現代において最も相応しいものかを考えていく必要があるように思う。



 天の父なる神さま


 私たちは、時代の大きな変化の中にあります。教会における牧師の存在意義が問われ、また牧師制度が問われています。この中で、あなたの建てようとしている教会にとって、最もふさわしい形とは何でしょうか?どうぞ私たちに知恵と知識とあなたへの謙遜な心をお与えてください。そしてあなたの御心に歩むことができるように助けてください。


主イエス・キリストの御名によって祈ります。 アーメン                                               文:関真士


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