ヨタムが王となり、16年間国を治めた様子が記されています。3~6節には、彼が城壁や要塞を築き、国を強くし、戦いに勝利を収めたことが書かれています。
「彼は、すべて父ウジヤが行ったとおりに、主の目にかなうことを行った。ただし、主の神殿に入ることはしなかった。民は依然として滅びに向かっていた。」 (2節)
ヨタムは「主の目にかなうことを行った」とあります。つまり、彼の行いは神さまに喜ばれるものでした。しかし、「主の神殿に入らなかった」という点に注目してみたいと思います。
ヨタムの父ウジヤはかつて神殿で祭司の役割を侵し、その結果、神さまから裁きを受けました。その出来事を目の当たりにしたヨタムは、同じ失敗を繰り返さないように注意したのではないでしょうか。また、父がツァラアトに罹る姿を見て、神さまの聖さを深く理解し、その尊さに触れることの重大さを実感していたとも考えられます。
ヨタムが実際にどのような気持ちだったかはわかりませんが、彼の行動は神さまへの畏敬の念と謙遜さの表れだといえます。また、「自分の神、主の前に、自分の道を確かなものとしたからである。」(6節抜粋)とあるように、ヨタムは神さまの御心を求めながら国を治めていました。
しかし、「民は依然として滅びに向かっていた」とあるように、ヨタムの信仰は民全体には広がりませんでした。これから学べることは、どれほど指導者が信仰深くても、それだけでは不十分で、一人ひとりが神さまと向き合い、成長していく必要があるということではないでしょうか。
愛する天のお父さま
ヨタム王のように、神さまへの畏敬の心を持ってあなたに仕えることができますように。過去の失敗や教訓から学び、同じ間違いを繰り返さない知恵をお与えください。また、私たち一人ひとりがあなたとの関係を深め、家庭や地域社会で良い影響を与える者となれるよう助けてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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