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2024年1月19日 申命記34章

『約束の地を見て』


 神様が言われたことが成就するように、モーセは、約束の地を遠く丘の上から眺めることが出来ましたが、その地に到着することは出来ませんでした。


 主は、「わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに『あなたの子孫に与える』と誓った地はこれである。わたしはこれをあなたの目に見せたが、あなたがそこへ渡って行くことはできない。」(4節)と言われた通りです。


「こうしてその場所で、主のしもべモーセは主の命によりモアブの地で死んだ。」(5節)


「モーセが死んだときは百二十歳であったが、彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった。」(7節)。


 モーセが40歳の時に、エジプトを出て、80歳の時にエジプトに戻り、イスラエルを連れ出し、そして120歳で一生を閉じます。


「イスラエルの子らはモアブの草原で、三十日間、モーセのために泣き悲しんだ。こうして、モーセのために泣き悲しむ喪の期間は終わった。」(8節)


 その後、ヌンの子ヨシュアにそのリーダーシップが移ります。


 これでモーセの生涯が終わりました。彼は、約束の地を見、また約束の地での神の祝福を預言して死にました。自分は行けませんでしたが、子供のように愛してきたイスラエルの民が入れることを思い、安心して死ぬことが出来たことと察します。


 出生から奇跡の連続で、波乱万丈のモーセの人生の中には、失敗もあり、逃げ出したいと思うような時もあったかと察しますが、なによりも神のご計画を実行するために用いられたことは何という幸いでしょうか?


主の祈り:神様、あなたに用いられた偉大な預言者モーセのように、キリスト教徒であるわたしたちひとりひとりにも、あなたのご計画があることを信じます。あなたの声をいつもきけることができますように、そしてあなたのしるしをもみることができますように祈ります。あなたの愛の中で人生を歩むことの出来る恵みを感謝します。アーメン



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