申命記22章は、21章と同様に約束の地で起こりうる様々な問題に対しての解決法が記されている。
22章では、迷った牛や羊を見つけた場合に知らぬふりをせず、その所有者に連れ戻すこと、地に落ちた鳥の巣にいる母鳥をひなや卵と一緒に捕ってはならないこと、そして、家を建てるときは、人がおちないように屋上にてすりを付けること。これらのことは、あわれみの心をもち、愛の配慮をもって生活していくという意味であるのです。
結婚と性的罪や弱い立場の女性に関する規定、着物の四隅にふさをつけること等々が、細かな事柄のひとつひとつにも、神の民として生きる深い意味が隠されているのです。その深い意味とは、純真、純粋、そして純潔に生きるべきだということである。
大切なことは、神が与えられたものについては、常に、大事に守る気持ちを持つことで、人に対しては親切心を惜しまない、神の民としての姿勢が語られるのです。人は、神の荷姿に似せてつくられたのだから、そのことに気づけば、神のように優しい者になれるのです。
第一テサロニケ人への手紙 4:3(抜粋)
「神のみこころは、あなたがたが聖なる者となることです。」
第一テサロニケ人への手紙 4:7
「神が私たちを召されたのは、汚れたことを行わせるためではなく、聖さにあずからせるためです。」
祈り
愛する天の父なる神さま。御名を心からほめたたえます。神の民としての姿勢が、まだまだ自分にはできていません。どうぞその道に歩ませてください。ひとに親切な心をもって、相手のことを思いやる心をもつことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。
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