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2024年2月7日 マタイの福音書19章

 イエスは、ガリラヤを去り、ユダヤ地方に入られた。21章ではエルサレムに入られ、そして十字架にかかられる。この19章は、イエスが十字架に向かう一歩を踏み出した転機となる章である。

 

 特に13節から15節が心にとまる。当時、女性や子供には人権などというものはなく、その存在は蔑視されていた。だから子供たちがイエスのもとに連れて来られたときに、弟子たちは叱ったのだ。それに対してイエスは、「しかし、イエスは言われた。『子供たちを来させなさい。わたしの所に来るのを邪魔してはいけません。天の御国はこのような者たちのためのものなのです。』」(14節)と語られた。

 そして「手を子供たちの上に置いてから、そこを去って行かれた。」(15節)のだ。これは、祝福の祈りである。イエスは、子供たちの存在を喜んだのだ。


 1989年、国連において「子供の権利条約」が採択された。日本は、1994年にその採択を批准した。

 すべての児童は、いかなる例外もなく、自己またはその家庭のいずれについても、その人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位のため差別を受けることなく、これらの権利を与えられなければならない。


 イエスは、この人権宣言が採択される遥か以前に、子供の存在を祝福している。イエスは、子供たちを御許に招かれている。

 教会に、子供の笑い声、赤ちゃんの泣き声が響いて欲しい。私たちは、イエスの言われた「わたしの所に来るのを邪魔してならない」のだ。子供たちが来るのに邪魔になる事柄を教会の中から取り除けていきたい。子供たちも、その親たちも安心して来れる、居られる、そんな教会でありたい。

  

  天の父なる神さま

 あなたは、子供を愛し、招き、祝福してくださいます。あなたの教会である私たちは、子供たちが来るのに邪魔になる事柄を取り除けて、あなたの御許に子供たちを連れて来きます。教会が子供たちの笑い声、泣き声、子供たちの笑顔で一杯になりますように。 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン        

                                文:関真士


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