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2024年3月19日 マルコの福音書8章

『あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。』


 この8章の始めには、5千人とそれから4千人の群衆への給食の物語が出てくて、その後に弟子達に、問いかけているのですが、21節「イエスは言われた。「まだ悟らないのですか。」と言う言葉に、思わず、自分も悟っていませんと答えてしまう。果たしてパンの給食の奇跡は何を表しているのか。 主イエスご自身が、イスラエルの民が荒野で頂いたマナのように、主ご自身が命のパンである事を悟らないかと聞いておられるのか。どうして集めたかごの数が、12やら7つになること、それは神の完全数だから意味なのでしょうかと、意味がわからずに頭を抱えてしまう場面です。聖書には、いつかきっと、なるほどこういう事だったのかと今はわからないけれど、いずれはっきりと見えるようになる箇所が多くあります。一月の関先生のメッセージを思い起こしてください。


 次の場面は、主イエスが弟子達を連れて、ピリポ・カイザリヤの村々に来られた時のことです。ここはガリラヤ湖からバスで1時間半ほどヨルダン川を北上したヘルモン山の麓、シリア・レバノンとの国境近くの山岳地帯、ヨルダン川の源流で、ヘロデ・ピリポがローマ皇帝と自分を褒め称えて、ピリポ・カイザリヤと名付け、ヘロデ・ピリポの領地の首都として栄えたようです。今は複合神を讃えたギリシャ風の神殿の跡が残っていますが、神殿の横から清水が流れ出てきていて、多くの人々が参拝に来ていたようです。


 イエスの弟子達も、岩に囲まれたこの神殿を見、また多くの人々がこの神殿を拝みに来ていた姿を見ていた事でしょう。その時に先頭を歩いていたイエスが振り返って、弟子達に尋ねます。「人々はわたしをだれだと言っていますか」


 教会時代の私達にも、教会に掲げられた十字架の上から、尋ねてくる人々に問いかけています。 あなたはわたしをだれだと言いますか。キリスト教が仏教や他の宗教と異なる点は、教祖であるイエスを、信徒である私たちが誰だと考えているか、他の宗教では教祖の教え自身が肝心なのですが、私たちはキリストが誰であるかが肝心なのです。


 世の人は、イエスは良い教師という人、イスラム教徒でさえイエスは預言者のひとりと言っていますが、私たち信者は、救い主、メシアであり神の御子、100%神であり100%人であると信じています。


祈り

主イエスは神の子、救い主であると宣言できる事を喜びます。どうか主イエスのように自分の十字架を負うことのできる力をお与えください。感謝致します。アーメン

文:森 宗孝


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