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2024年4月7日 士師記11章

 11章は第八番目の士師であるギルアデ人エフタの登場である。彼は、遊女の子であったためにギルアデの正妻と子供たちから追放されて、ならず者たちのところに出入りしていた。エフタの波乱万丈の生き方がスタートする。そのなかで一番心に示されたのは、彼が神に聞き従うことなく愚かな誓願をしたために愛するひとり子(娘」が犠牲になっていくところと、又、娘の純真で従順な心で愛する父が神に立てた誓願に従っていくところである。


 ギルアデ人の長老たちはエフタを連れ戻しにきた。彼にアンモン人と戦って自分達のかしらになってほしいことを述べた。エフタは、主がアンモン人を自分に渡してくださったなら、あなたがたのかしらになろうと言ったのである。それに対して、長老たちは、主が自分たちの証人となられる。そして、必ずあなたの言われるとおりにすると言ったのである。そして、エフタは長老たちと一緒に行き、彼は民のかしらとなった。エフタは自分が言ったことをみな、ミツパで主の前に告げたのである。


 エフタはアンモン人の王に平和と神のさばきのことばを送ったが、彼は聞き入れなかった。そのとき、主の霊がエフタの上に下ったとき、彼はギルアデとマナセを通り、ギルアデのミツパを経てアンモン人のところへ進んで行った。そこで、エフタは手柄を立てることに心が先んじてしまったのか、主に聞き従うことをしないで、主に誓願を立てて言ったのである。


 エフタは主に誓願を立てて言った。「もしあなたが確かにアンモン人を私の手に与えてくださるなら、」30節

「私がアンモン人のところから無事に帰って来たとき、私の家の戸口から私を迎えに出て来る者を主のものといたします。私はその人を全焼のささげ物として捧げます。」31節


 この時点でエフテは神を試そうとしたのである。「もし~してくださるなら~します」という言葉は、神を信用してないことにもつながるのである。そのような誓願を立てなくても神が共におられるなら、勝利は確実なものになるのである。私たちにもそのようなことは起こりうることではないだろうか。もし目の前に大きな困難に直面した時に、私たちが、神にどういうふうにして祈るのかが問われるところである。


 エフタはアンモン人と戦って、主によって勝利を得て自分の家に帰った。だが、残念なことに、たった一人の子である愛する娘がタンバリンを鳴らし、踊りながら彼を迎えに出て来たのである。彼女の純真な父の勝利を心から喜んで踊りながら迎えに来た娘を見て、エフタは自分の愚かさを悟ったことでしょう。神への誓願の怖さを知る思いである。


 そして、娘の純真な父を愛することばに心が触れられた。

「お父様、あなたは主に対して口を開かれたのです。口にだされたとおりのことを私にしてください。主があなたのために、あなたの敵アンモン人に復讐なさったのですから。」36節(抜粋)



 愛する天の父なる神さま。神を試そうとする誓願がどんなに怖い者であるかを示された思いです。いつも主に聞き従っていける信仰の道を歩むことができますように導いてください。道からそれることは多々あります。そのようなときは、正しい道を歩む者としてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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