特に5,6節の御言葉に注目したいと思います。
「使徒たちは主に言った。『私たちの信仰を増し加えてください。』 すると主は言われた。『もしあなたがたに、からし種ほどの信仰があれば、この桑の木に『根本から抜かれて、海の中に植われ』と言うなら、あなたがに従います。』」
信仰を増し加えて欲しい、もっと強い信仰を持ちたい、という願いは多くの人が持っているようです。
信じているはずなのに、信じているのだったら…、信仰における躓きは、信じたり信じられなくなったりする自分自身への躓きでもあります。また信じても、その通りにならなかったときには神に躓くこともあります。
自分に躓き、神に躓き、そして躓ている自分自身に躓きます。信仰を増し加えて欲しいという願いは、そんな私たちの切実な願いでもあるでしょう。
しかしイエスは、ここで「からし種ほどの信仰」と言われました。からし種とは、本当にけし粒のように小さな種です。イエスがここで言われていることは、信仰とは、30%、60%、100%というように、増えたり減ったりするものではないということです。信仰とは、有るか無いか、ゼロか100かです。
そして ”信仰が有る” と言えるとするなら、
”私の信仰”(私の努力、修養で獲得し、保つ)ではなく、
”神の信仰”(神の真実に根拠があり、神の恵みによって保たれる)に生きることです。
しがみ着くのではなく、神に掴まれるのが信仰です。その時に、桑の木が海に植えられるというような、通常ではあり得ない事が起こるということです。
信仰が増し加わることを願うのではなく、今与えられているからし種ほどの信仰に安心することです。
天の父なる神さま
私たちが与えられているからし種ほどの信仰を、しっかりと受けとめていけますように。信仰を強くしようとする考えから解放してください。今ある信仰に安心できますように。聖霊の励ましを豊かにお与えください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
文:関真士
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