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2024年6月12日 サムエル記第一28章

「サウルはペリシテ人の陣営を見て恐れ、その心は激しく震えた。」(5) 


 このサウルの恐れは、王自らが国から追放した霊媒や口寄せに頼るという常軌を逸した行動に駆り立ててしまいました。

 もはや真の神に頼るという道筋は失われていました。それでも恐れの中で何かに頼らざる得ない中で、律法で禁じられている霊媒、口寄せに頼ってしまったのです。


 現代でも占いやオカルトにはまる人が大勢います。みんな不安を抱え、何かに頼りたいのです。しかし占いやオカルトは、入口は天使を装いますが、中身は恐怖で縛ります。決して、恐れは取り去られません、逆に恐れは増していきます。


 私たちは、どんな時でも真の神を天の父と呼べるという、この恵みいただいています。「恐れを覚える日に、主に信頼せよ。」(詩篇56:3)と語られているように、私たちには、信頼できる父がいるのです。サウル王を通して、神から離れてしまった者の哀れさを見ます。心が痛みます。


 私たちは、幸いにも恵みの時代に生かされています。イエスの救いがあり、聖霊の助けがあります。いつでも天の父のもとに行くことができます。この恵みに感謝して、どんな時にも、主にだけ信頼していくことができるようにと、心から願います。

 

 天の父なる神さま

 恐れがあるからこそ主に信頼し、天の父のもとに行くことができますように。心の中に、主への大路が真っすぐに造られますように。この恵みの時代に生かされていることを感謝いたします。

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

                               文:関真士



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