top of page
  • hccnichigo

2024年6月13日 サムエル記第一29章

 29章は、ダビデが窮地に陥った時に主の不思議な摂理によってそこから抜け出ることができた事が記されています。


 ダビデとその部下は、アキシュが率いる軍団に加わってその後に続いた。しかし、ペリシテ人の首長たちは、ダビデの一行と戦いに行くことを強く反対したのである。なぜならダビデが戦いの最中に心変わりして敵対することがあるかもしれないのでこの戦いから外してほしいことをアキシュに強く迫ってきたのである。


 アキシュは、ダビデのことを信用していたがペリシテ人の首長たちはダビデのことを良く思っていなかったので彼らの思いを聞かずにはおれなかったのです。そして、アキシュはダビデにすべての事を話して明朝早くペリシテ人の地へ帰るようにと言ったのである。ダビデはこのことを聞いて、「王様の敵と戦うために私が出陣できないとは。」と残念がっていました。だが、アキシュは、ペリシテ人の首長たちが言ったことをダビデに伝えたのである。「彼はわれわれと一緒に戦いに行ってはならない。」9節(抜粋)ここの箇所を読んでいると、確かにダビデが心変わりしてサウルにつくことも考えられることであるが、それ以上に首長たちはダビデには神の力が及んでいることも悟ったのではないだろうかと思わされました。


 このことは、決してダビデが計画したことではないことがわかります。そのことが起こる前の日まで、ダビデはイスラエル軍と戦わなければならない窮地に立たされていました。しかし、主なる神はダビデを窮地から抜けださせるようにすべてを備えていてくださったのである。これはすべて神の摂理だったのです。主に油そそがれた者は決してほろぼされることはないです。。私たちクリスチャンにも同じようなことがいえます。私たちは、イエス様の十字架の血潮によって救われたので決してほろぼされることはないのです。何という主の憐み、恵みでしょうか


 私たちも普段の生活の中でいろんな窮地に追いやられることが多々にあります。そのようなときにすべてを主に委ねてダビデのように主の摂理のなかで生かされることを希望していきたいと示されました。



 愛する天の父なる神さま。日々の生活の中でいろんなことが多々に起こっています。私たちがそのようなときにはどうすれば窮地から抜け出ることができるのかを示された思いです。そのようなときに祈ることは大変です。でもそれでも私たちは勇気をだして戸をたたき続けていきます。どうぞ一歩踏み出す勇気と、祈って、信じることができる道へ歩ませてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン



閲覧数:26回0件のコメント

最新記事

すべて表示

2024年7月15日 ヨハネの福音書6章

『わたしがいのちのパンです』 ここで注目したいのは、主は世にパンを与えると言っているのではなく、わたし自身が命のパンそのものであると宣言されている点です。ガリラヤ湖畔の山にのぼられて5千人にパンと魚を望むだけ与えられた後に、宣言されたのですが、この「I am the bread of Life わたしがいのちのパンです」とは、主イエスが神であるという7つの神性宣言の最初のみことばなのです。エジプト

2024年7月14日 ヨハネの福音書5章

べテスダと呼ばれている池で38年も病気にかかっている人とイエス様との会話に目が留まった。ちなみにべテスダとは「あわれみの家」という意味である。エルサレムの旧市街地にあるアラブ人居住区の一角にあり、現在ではその一部が発掘されているそうです。 当時エルサレムには、べテスダの池(あわれみの家)というのがあり、そのほとりには多くの病人がいました。池の水がかき回されたときにそこに入ったら癒されるという藁にも

bottom of page