top of page
  • hccnichigo

2024年6月19日 サムエル記第二4章

「主は生きておられる。主は私のたましいを、あらゆる苦難から救い出してくださった。」(4:9)


 サウルが戦死し、ダビデの名声と力は誰もが認めるところとなった。そうなれば、サウル亡きあと、いかに新しい王であるダビデに取り入るかを考えるのは、当然のことでしょう。

 サウルの息子のイシュ・ボシェテの二人の部下は、主君の首をダビデのところに持って行けば、ダビデに重用されるだろうと考えたのでしょう。しかし、この二人の計画も虚しく、ダビデの怒りに触れて殺されてしまったのです。


 人生の計画の中に、神がいるか、いないか。ダビデの人生には、常に「主は…」という主語があります。計画の中に、主なる神の存在があるのです。主は、それを喜ばれるか、主の御心にそっているか、主の道から外れていないか、常に主を意識しているのです。

 

 イシュ・ボシェテの二人の部下は、良い計画だと思ったでしょう。当時の常識からすれば、確かに良い計画だったのです。しかし、人の目に良い計画、完璧な計画であったとしても、主の目にはどうなのか? そこに「主は…」という主語はあるのか。そこを見誤ると策士策に溺れるがごとくに道を誤ってしまいます。


 私たちの人生のすべての計画の中に「主は…」という主語を持って歩みたいと心から願います。


 天の父なる神さま

 私たちの人生の全ての事において、「主は…」という意識を持たせてください。そして主の御心に歩むことが出来ますように、聖霊が私たちを導いてください。

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

                               文:関真士


閲覧数:30回0件のコメント

最新記事

すべて表示

2024年7月15日 ヨハネの福音書6章

『わたしがいのちのパンです』 ここで注目したいのは、主は世にパンを与えると言っているのではなく、わたし自身が命のパンそのものであると宣言されている点です。ガリラヤ湖畔の山にのぼられて5千人にパンと魚を望むだけ与えられた後に、宣言されたのですが、この「I am the bread of Life わたしがいのちのパンです」とは、主イエスが神であるという7つの神性宣言の最初のみことばなのです。エジプト

2024年7月14日 ヨハネの福音書5章

べテスダと呼ばれている池で38年も病気にかかっている人とイエス様との会話に目が留まった。ちなみにべテスダとは「あわれみの家」という意味である。エルサレムの旧市街地にあるアラブ人居住区の一角にあり、現在ではその一部が発掘されているそうです。 当時エルサレムには、べテスダの池(あわれみの家)というのがあり、そのほとりには多くの病人がいました。池の水がかき回されたときにそこに入ったら癒されるという藁にも

bottom of page