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2024年6月25日 サムエル記第二10章

『ダビデ王国の確立』


 神に選ばれたイスラエルの民には、この世において大変な試練の中を歩んできた。近代のイスラエル民族の歴史を見ても、離散先の国々では迫害され、ホロコーストのように徹底した迫害を受け、今のイスラエル国家も周りには、敵意を持つ裕福な国々に囲まれ、周りの国は石油のおかげで大変豊かなのに比べて、イスラエルには石油は無い。イスラエル旅行の時に観光バスがガソリンスタンドに寄って満タンにするのを見ていたら、何とガソリン料金が米ドルにして約1,000ドル払っていたのには大変驚いたのを思い出します。


 このサムエル記の時代もイスラエルの西、地中海沿いにはペリシテ人、南の砂漠地帯にはエドム人とアマレク人、ヨルダン川の東にはモアブ人、アンモン人、そして北にはユーフラテス川の向こうにアラム人に囲まれているイスラエルを見ます。そしてこのアンモン人はアラム人を雇って、イスラエルと戦おうとした。6節抜粋「アラム人の歩兵2万、マアカ王の兵士一千、トブの兵士1万2千を雇った」とあります。


 それに対するイスラエルは12節「強くあれ。われわれの民のため、われわれの神の町々のために、奮い立とう。主が御目にかなうことをされるのだ。」と主の戦いとして立ち上がりました。そうして結果として雇い兵のアラム人は彼らの前から逃げた。とあります。さらにアラム人との戦いがありますが、イスラエルは戦車兵7百と騎兵4万人を殺したとありますので、徹底的に北の脅威をも無くすことができて、これでダビデ王国の基盤が確保できたことになります。19節抜粋「王たちはみな、イスラエルに仕えるようになった。アラム人は恐れて、再びアンモン人を助けようとはしなかった」


 この時の戦いは、主の御目に叶う戦いであったのでしょう、しかし、果たして今日現在、起こっているイスラエルとガザ、ハマスとの闘いは主の御目に叶っているのか..と問わざるをえません。

 

 平和であるハワイから見て、簡単に戦争の当事者たちを理解することはできません。もしも母国の日本や台湾が攻撃を受けたらと想像するだけでも、心が痛みますが、残念ながら人間の力では真の平和をこの世に創ることは出来ないことを私たちは知っています。


 私達が願うのは、主イエスが王としてもう一度この世に戻って来られ、人間の王ではなく、神の子イエスのもとで仕える事で、本当の平和、平安が来る事ですが、それでも主と共に立ち上がって、暗黒の勢力と戦う事になる事も予想しております。しかし、これは本当に主の戦い、主と一緒に、主を仰ぎながら闘うことになるのです。


祈り

どうか、毎日のように戦いの犠牲になっておられる方々の冥福と、この争いによって憎しみに支配される国となりませんように、私たちの愛する米国も、政治的な対立による分裂を迎えるかもしれません危機に見舞われていますが、分裂ではなく、主イエスによる一致と導かれますように アーメン  

文:森 宗孝


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