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2024年7月10日 ヨハネの福音書1章

 今日からヨハネの福音書に入ります。ヨハネは、他の3福音書とは異なる独特な視点で福音書を記しています。

 

 特に今回、心に止まった御言葉は「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」(14)です。


「ことば」とは、イエス・キリストのことです。「ことば」とは、単なる情報伝達のツールではありません。「ことば」とは、そのことばを発している人そのものです。ことば=存在なのです。

 イエスのことばは、イエスそのものです。ですから、私たちは肉眼ではイエスに出会ったわけではありませんが、イエスの「ことば」に出会っているので、イエスに出会ったと言うことが出来るのです。


 その「ことば」であるイエスが、肉体を受けてこの地上に来られました。その時に、私たちの「間」に住まわれたと記されています。「間」です。

 イエスは、人と人との間、人種と人種、民族と民族、国と国の間におられるのです。間というのは、双方から等しく見られるということです。こちら側の人にも、あちら側の人にも、等しくイエスは、神であり、救い主なのです。

 

 分断された現代の社会において、間に立っていてくださるイエスに気づくとき、双方がイエスに目を向けるとき、初めてそこに平和が造り出されていくのです。 


 天の父なる神さま。

 私たちの間におられるイエスさまに感謝いたします。私の救い主は、あちらにとっても救い主です。私たちが、どんな時でも、お互いの間にイエスがおられることに気づいて、共に歩むことができますようにどうか導いてください。

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

                               文:関真士


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