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2024年7月15日 ヨハネの福音書6章

『わたしがいのちのパンです』


 ここで注目したいのは、主は世にパンを与えると言っているのではなく、わたし自身が命のパンそのものであると宣言されている点です。ガリラヤ湖畔の山にのぼられて5千人にパンと魚を望むだけ与えられた後に、宣言されたのですが、この「I am the bread of Life わたしがいのちのパンです」とは、主イエスが神であるという7つの神性宣言の最初のみことばなのです。エジプトから脱出して荒野での暮らしの時に天から与えられたマナ、主イエス自身がこのマナなのだと宣言されたのです。


 出エジプトに戻り、神がモーセにエジプトで奴隷になっている、わたしの子ら、イスラエルの子らをエジプトから導き出すように言われた時、ご自分の事を説明されました。「わたしは『わたしはある』と仰られた。」出エジプト3:14もしくは「わたしは有って有る者」「エゴ・エイミー」とも訳されているのですが、永遠のかなたから今も、これからも存在する者であると言う意味な訳ですが、人となられた主イエスは、もう少し具体的にこの言葉の意味を説明されたのです。わたしは天からあなた方の祖先を40年間もの間に荒野で養ったマナなのだと説明されたのでしょう。


 ちなみに主イエスの7つの神性宣言とは、この章のわたしがいのちのパンから始まって、わたしは世の光「I am the ligh of the world」8:12/ わたしは門である「I am the gate」10:9/ わたしは良い羊飼い「I am the good shepard」10:14/ わたしはよみがえりであり、いのちである 「I am the resurrection and the life」11:25/ わたしは道であり、真理であり、いのちです 「I am the way and the truth and the life」14:6/ わたしはまことのぶどうの木 「I am the true vine」15:1 

 この『I am…』が主イエスが神の子である事を示されているのです。


6章35節「イエスは言われた、『わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。

 5千人の給食の後に主イエスのもとに来た者たちの中には、イエスが肉体の飢えを常に満たしてくれる救い主と考えた者たちが

大勢いました、もしくはこのイエスこそローマを倒してユダヤ人の王になる方と思った者たちもいました。しかし、自分達の予想を裏切って、主イエスが「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、私のうちにとどまる」と言われた時に、期待外れに終わったとして多くの者が、ひどい教えだとつまずいたのです。


 主イエスは今でも、私たちに語りかけています。わたしのもとに来なさい、そしてわたしを信じなさいと。主は霊を癒すお方です、肉体の飢えを満たすのではありません。主を神の子、救い主だと信じる者は、試練にあっても、苦しみの中でも主が心に宿っているので、平安がとどまり続け、心の渇きは満たされているのです。


祈り

主イエスのもとに行くことを心がけて、毎日を生きることができますように、例え患難に出会ったとしても、神からの愛の試練として受け取ることができますように、私の霊を満たして下さい。アーメン

文:森 宗孝


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