23章はダビデの最後の歌だと言われています。
詩編150篇のうちダビデが作ったのは73篇もしくはそれ以上だったと言われているそうです。どのようにして詩編の半分以上の歌がダビデに与えられたのでしょうか。それは、2節に語られていることそのものです。「主の霊は私を通して語り、そのことばは私の舌の上にある。」つまり、主の霊がダビデを通して書かれたものであり、神のことばだと言われています。 「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。」使徒の働き1:8。
ダビデを支えた三人の勇士たちの行動に目が留められた。
三人の勇士たちとは、ヨシェブ・バシェべテ、エルアザル、シャンマである。彼らはダビデがベツレヘムの門にある井戸の水を飲みたがっていることを知っていのちがけで汲んできたのである。なんとすばらしい勇士たちでしょうか。ダビデは、彼らがそこまでするとは思わなかったはずです。彼らが自分にしたことにたいして心から感謝、謙遜になったのではないでしょうか。それゆえ、ダビデはその水を飲もうとはせず、それを主の前に注いで、こういった。「主よ。そんなことをするなど、私には絶対にできません。これは、いのちをかけて行って来た人たちの血ではありませんか。」―17節―(抜粋)
ここを読んでいて、いのちを惜しまずに主人のために希望をかなえる勇士たちのとった行動は主人への忠誠心、心からの愛の行動でした。そして、彼らの気持ちを謙遜に受け入れるダビデの行動は、彼らの行動こそ神にささげられるべきものとみたのでしょう。主に在ってすばらしい師弟関係だと示されました。ダビデ王国の確立は、そういう勇士たちの働きなくして成り立たなかったでしょう。それは、すべて主の恵みによるものであります。私たちの教会生活においても言えることです。教会は、牧師だけで運営できるものではないことはみながよく知っていることです。教会員の一人一人が仕え合う側とそれを謙遜なきもちで受け入れる側との一致のなかで成り立っていくものではないでしょうか。主に在って教会員が一致することは教会形成の基本となっていく大事なことであります。
愛する天の父なる神さま。あなたの尊い御名を心から感謝します。ダビデの勇士たちの働きが、主人にたいする忠誠心であったように、私たちクリスチャンも私たちの主なる神に心から忠誠心をもって仕えることができますように導いてください。そのためにも、主に在って兄弟姉妹たちと心から喜んで助け合い、愛し合っていくことができますように助けてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。
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