top of page
hccnichigo

2024年8月26日 列王記第二5章

『ナアマン将軍の癒し』


 イスラエルの敵、アラム軍の将軍ナアマンが皮膚病ツァラアトにかかり、それを預言者エリシャの進言でヨルダン川で身を洗って癒されるという出来事ですが、この中に、何人か名前も出てこない舞台裏で活躍する者達がいる。はじめに、アラム人ナアマン将軍の妻に仕えるイスラエル人の若い娘、彼女の提案でナアマンはエリシャに会いに出かけるきっかけとなった。次にナアマンに仕えるしもべたち、エリシャから「ヨルダン川で身を洗え」と言われて、馬鹿にされたと思ったナアマンを宥めて、ヨルダン川に連れて行った者達、彼らのナアマン将軍を思いやる言葉に注目したい。


13節抜粋「わが父よ。難しいことを、あの預言者があなたに命じたのでしたら、あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。あの人は「身を洗ってきよくなりなさい」と言っただけではありませんか。」まさに、主イエス信仰に対する人の心理を良く表しているように思える部分です。


 神の人エリシャの言葉は、神の子イエスのことばにつながっている。わたしについて来なさい、わたしを信じなさい、そうすれば永遠の命が得られます。私たちが清められる、聖なる者とされる条件が難しい事であれば、人はなんとかそれをしようと努力する事でしょう、しかし簡単すぎるほど簡単であれば、かえって信じることができないのが人間の性(サガ)のように思うのです。


 もう一人は神の人エリシャに仕える若者ゲハジ、この前の章にも登場していますが、彼は主イエスに仕えた、イスカリオーテのユダを思い起こさせます。彼にとっては、ナアマン将軍が持ってきた謝礼、お金の方に魅力を感じたのです。偽ってナアマンから銀二タラントと晴れ着2着を、エリシャが必要になったと言って騙し取ったのです。主イエスを裏切ったように、ゲハジもエリシャを裏切りました、そうして結果として、今度は彼自身がツァラアトに冒される羽目になってしまいます。


祈り

主よ、救いの道はただただ、主イエスを信じるだけの道です。滝に打たれ、断食や難行する事ではありませんが、簡単なだけに多くの人には受け入れられません。どうか信じることの一歩である、すべての人の心のドアが開けられますように。

アーメン  

文: 森 宗孝


閲覧数:27回0件のコメント

最新記事

すべて表示

2024年12月31日 ローマ人への手紙15章

『イスパニア伝道』  2025年も、主と共に歩む年でありますように、与えられた喜びで満たされ、溢れでて、未だ主を知らない方々へ祝福として流れ出しますように!  スペインには、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼のという数百キロにわたる徒歩の道があって、巡礼路として毎年およ...

2024年12月30日 ローマ人への手紙14章

『信仰の弱い人を受け入れなさい』  昔、聖書の学び会で自分はこのように思う、その理由は聖書のこの箇所でこのように書いてあるからだと強く自己主張をしていた人を思い出す。聖書の学びが長く知識が豊富な人が、初心者で聖書知識にうとく、未だ信仰の弱い人を見下すような者がいるのことを経...

2024年12月29日 ローマ人への手紙13章

「権威に従い、律法を守り、主イエス・キリストを着る。」  ローマ人への手紙13章では、クリスチャンの行動の原則が、上に立つ権威に従い、律法を守り、主イエス・キリストを着る、と三つにまとめられています。  権威に従うとは、存在している権威はすべて、神によって立てられている。こ...

Comments


bottom of page