『ナアマン将軍の癒し』
イスラエルの敵、アラム軍の将軍ナアマンが皮膚病ツァラアトにかかり、それを預言者エリシャの進言でヨルダン川で身を洗って癒されるという出来事ですが、この中に、何人か名前も出てこない舞台裏で活躍する者達がいる。はじめに、アラム人ナアマン将軍の妻に仕えるイスラエル人の若い娘、彼女の提案でナアマンはエリシャに会いに出かけるきっかけとなった。次にナアマンに仕えるしもべたち、エリシャから「ヨルダン川で身を洗え」と言われて、馬鹿にされたと思ったナアマンを宥めて、ヨルダン川に連れて行った者達、彼らのナアマン将軍を思いやる言葉に注目したい。
13節抜粋「わが父よ。難しいことを、あの預言者があなたに命じたのでしたら、あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。あの人は「身を洗ってきよくなりなさい」と言っただけではありませんか。」まさに、主イエス信仰に対する人の心理を良く表しているように思える部分です。
神の人エリシャの言葉は、神の子イエスのことばにつながっている。わたしについて来なさい、わたしを信じなさい、そうすれば永遠の命が得られます。私たちが清められる、聖なる者とされる条件が難しい事であれば、人はなんとかそれをしようと努力する事でしょう、しかし簡単すぎるほど簡単であれば、かえって信じることができないのが人間の性(サガ)のように思うのです。
もう一人は神の人エリシャに仕える若者ゲハジ、この前の章にも登場していますが、彼は主イエスに仕えた、イスカリオーテのユダを思い起こさせます。彼にとっては、ナアマン将軍が持ってきた謝礼、お金の方に魅力を感じたのです。偽ってナアマンから銀二タラントと晴れ着2着を、エリシャが必要になったと言って騙し取ったのです。主イエスを裏切ったように、ゲハジもエリシャを裏切りました、そうして結果として、今度は彼自身がツァラアトに冒される羽目になってしまいます。
祈り
主よ、救いの道はただただ、主イエスを信じるだけの道です。滝に打たれ、断食や難行する事ではありませんが、簡単なだけに多くの人には受け入れられません。どうか信じることの一歩である、すべての人の心のドアが開けられますように。
アーメン
文: 森 宗孝
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