top of page
  • hccnichigo

2024年8月29日 列王記第二8章

 列王記第二8章は 、列王記第二4章8節から37節でエリシャが奇跡を起こしたシュネムの女がでてきます。高齢な彼女に息子が与えられ、その息子が死に、生き返ったといういきさつでした。その彼女にエリシャは、国に飢饉がくるので7年間国を離れるようにと言ったので、彼女は家族を連れてペリシテ人の地に7年間滞在した。


 なぜここでシュネムの女が登場するのだろうかと思わされるところでありますが、彼女がエリシャへの愛のもてなしが何の報酬も求めず行ったことが今、その恵みがかえってきたのでしょう。そればかりか、飢饉がおさまって7年後に帰ってくるとすべてを失って困っていたので、王の所に交渉に行ったのである。ちょうどその時に、王は、エリシャに仕える若者ゲハジからエリシャによって生き返らせた子どものことを聞いていたのである。そこにその女の人が息子を連れてきたので、王は、彼女に失った所有物をすべてもどしたのである。何という主のよきタイミングのお計らいでしょうか。小さなことに忠実なしもべが与えられる神様からの大きな恵みではないでしょうか。


「最も小さなことに忠実な人は、大きなことにも忠実であり、最も小さなことに不忠実な人は、大きなことにも不忠実です。」―ルカの福音書16章10節―

  

 そのこととは対照的にエリシャに仕える若者ゲハジの裏切り、自分の罪を知らなかったために起こったことが記されています。エリシャがこのことを知っていたので、11節で、「神の人は、彼が恥じるほどじっと彼を見つめ、そして泣きだした」とあります。自分の師弟の罪のために涙するエリシャの行動は、イエス様が自分を裏切った愛弟子のペテロを見る眼差しの光景に重なってくる思いにさせられました。私たちにもこの内にある罪に引きずり込まれることが多々あります。その時は、イエス様は私たちが悔い改めるのをじっと待っておられます。ある牧師が言われたことがとても心に響きました。罪は一生つきまとうものです。それを払いのけるためには、その都度、勇気を出して、主の前にでて罪の告白、悔い改めをしなければならないということです。私たちは、「イエス様の十字架によって罪が赦された。」という確信を持ち続けていくことです。



 愛する天の父なる神さま。自分の内にある罪に引きずり込まれる日々との戦いです。そのような罪を常にあなたの前で告白し、悔い改めていくことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


閲覧数:20回0件のコメント

最新記事

すべて表示

2024年8月31日 列王記第二10章

エフーは、神さまがエリヤを通じて告げた言葉を成就するために、アハブの家族やその関係ある者をすべて滅ぼしました。彼の行いは御心に従ったものであり、アハブの家に対する裁きが成し遂げられた瞬間でした。  そして、バアル礼拝を滅ぼす行いも、神さまの導きに従ったものでした。エフーはバ...

2024年8月28日 列王記第二7章

「確かに、あなたは自分の目でそれを見るが、それを食べることはできない。」(2)  イスラエルは敵に包囲され敵の兵糧攻めに合い、飢餓で苦しんでいる状況にあります。そんな中でエリシャは「明日の今ごろ、サマリヤの門で、上等の小麦粉1セアが1シェケルで、大麦2セアが1シェケルで売ら...

2024年8月27日 列王記第二6章

『敵に塩を送る』  日本にも敵の弱みにつけ込まないで、その逆境から救うということわざがあります。宿敵であった山国の武田信玄の領民が周りから塩止めという戦略で、苦境に立たされている事を知った上杉信玄が塩を送ったことからのことわざという。人間の身体の構造で、自分自身では造り出せ...

Comments


bottom of page