7章において、主の宮の工事の完了が告げられました。しかし、主の宮を建てることは、目的ではなく手段でした。本当に大切なのは、ここからです。
主の宮を建てる目的は、契約の箱を安置するためなのです。契約の箱とは、神の臨在の証です。つまり神をこの宮の中にお迎えするという意味があります。
どれだけ完全な主の宮を建てたとしても、そこに主がおられなければ、それはただの建物です。その建物が名実ともに「主の宮」になるためには、主がそこにおられなければなりません。
主の宮の工事の完了を受けて、契約の箱を運び込む準備が整いました。8章では、いよいよ契約の箱を運び込みました。その時、次のように記されています。
「祭司たちは、その雲のために、立って仕えることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである。」(11)
今ここに、神の栄光の臨在が満ちたのです。この光景をイメージしながら、「主の栄光宮に」という賛美が溢れてきます。
♪主の栄光宮に、主の平和うちに 主の喜びが満ち溢れる イエスの御名により罪清められ いま聖霊が心に住まわれる♪
私たちは、宮です。教会も宮です。神の臨在を受け入れるための宮です。今は、聖霊なる神が私たちの内にお住まいくださり、聖霊が私たちを満たしていてくださいます。
毎主日の礼拝において、「主の栄光が主の宮に満ちた」という出来事が起こりますように、栄光の雲で一杯になりますように。心から願います。
天の父なる神さま
私たちという宮を聖霊で満たしてくださり、主の宮としてください。その私たちが捧げる礼拝に、主の栄光が主の宮に満ちるという出来事を起こしてください。私たちは、主の栄光の臨在を心から慕い求めます。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
文:関真士
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