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2024年9月3日 列王記第二13章

『預言者エリシャの勝利の矢』


 この章は北イスラエル王国の話ですが、南王国にも、ほぼ同時期に同名のヨアシュ王がいるのでこんがらがります。北王国11代目の王ヨアシュ(在位16年)とその父エホアハズ王(在位17年)の時のことです。どちらも主の目に悪であることを行ったとあります。北王国はさらに北方のアラムに虐げられて、エホアハズ王の時には、騎兵50、戦車10と歩兵1万の軍隊しか残されていなかったとありますから、相当の打撃をアラムから受けていました。


 このような国家的な危機の時に、イスラエル王ヨアシュは助けを求めて、死の病を患っていた預言者エリシャのもとに行きました。預言者エリシャはヨアシュ王に窓を開けて「主の勝利の矢」を射なさいと命じます。(17節)この章では、果たしてこの勝利の矢、しかも主の勝利の矢とはどのような預言的意味を含んでいるのかを考えてみようと思います。


 創世記9章のノアの箱舟の中で、洪水の後に神はノアとその息子たちと契約を結びます。 それは「再び、大洪水の大水によって地を滅ぼすことはない」という約束で、創世記9章13節「わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それが、わたしと地との間の契約のしるしである。」と神がおっしゃった、この虹とはRainBowつまり、雨の矢という意味です。神は雨の矢を大空に放って約束された。私たちの島、このマウイ島、特にKaneoheは雨が多い場所ですから、虹が良く出てきます。二重虹も何度も見ることができます。神の約束をいつも思い起こす時ですね。


 主の勝利の矢、主の約束と理解すれば、主のみことばである聖書、この旧約時代では律法に信頼をおきなさい、主のことばを放って、ことばに立って敵対するアラム王と闘いなさいという事ではなかったかと思うのです。そのことばにヨアシュ王は従うことは、確かに従ったのですが中途半端。3回矢を放って、充分と思い込んで辞めてしまいます。その結果、アラムとの戦いには3度の勝利を得ますが、やがて北イスラエル王国は、次に台頭してきたアッシリア帝国によって滅ぼされてゆきます。中途半端な信頼では、主が喜ぶことはないのです。


 ちなみに、罪というヘブル語の言葉には「的外れ」という意味があるのですが、今までは弓矢をうつ目標が神ではない、他の目標に向かって自分の矢を放つという事が罪と理解していたのですが、それだけではなく、神に向かって、正当な目標に向かって矢を放っても、途中で矢の力がなくなって、目標に届かずに落ちてしまう、これも罪だと読んで、なるほど中途半端な信仰も罪のうちなのだと気付かされました。


祈り

 主よ、どうか私達の信仰が、中途半端に終わる事なく、主の勝利の矢を力一杯振り絞って、十字架の主イエスに向かって放つことができますように、私たちに信仰の力を与えて下さい。アーメン

文: 森 宗孝


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