「 バビロンの王ネブカドネツァルがバビロンに引いて行った捕囚の民で、その捕囚の身から解かれてエルサレムとユダに上り、それぞれ自分の町に帰ったこの州の人々は次のとおりである。」と始まるこの2章は、58節まで、 バビロンからエルサレムに帰還した人々の名簿が記されてあります。
でも、自分たちの先祖の家系と血統がイスラエル人であったかどうかを証明できない人がいました。又、祭司の子孫の中では、ホバヤ族、ハ・コツ族、バルジライ族が、自分たちの系図書きを捜してみましたが見つからなかったので、祭司職を果たす資格がない者とみなされました(61-63節)。それで総督は、ウリムとトンミムを使える祭司が起こるまでは最も聖なるものを食べてはならないと命じました。「最も聖なるもの」とは、ささげものの中から祭司が受け取る分」のことです。また、ウリムとトンミムとは大祭司の胸に付ける二つの石のことで、神のみこころを判断するために用いられ、それによって彼らが本当の祭司であるかどうかを神に伺いを立て判別していたようです。
一族のかしらの中のある者たちは、エルサレムにある主の宮に着いたとき、神の宮を元の場所に建てるために、自分から進んでささげ物をしました。 彼らは自分たちの財力に応じて、工事資金として金六万一千ダリク、銀五千ミナ、祭司の長服百着を献げました。こうして、祭司、レビ人、民のある者たち、歌い手、門衛、宮のしもべたち、すなわち、全イスラエルは自分の元の町々に住んだとあります(68~70節)。神様は自分から進んで捧げものをすることを喜ばれます。
ここで目を見張るのは、これらの人たちはエルサレムで神殿を再建するためにバビロンで慣れ親しんだ地を捨てたということです。それは、当時バビロンに住んでいたユダヤ人の総数からすれば少数派でした。多くのイスラエルの人々は捕虜であったとはいえ、50年以上も定住し、ある意味で自分たちの生活が出来上がったバビロンにとどまりました。彼らは、安全と富を保障してくれる現状の生活に満足し、神が与えてくださった約束の地を捨てたのです。そのような人たちの中にあって、神が約束してくださったことを信じ、それに応答した人たちがいたのです。新しい環境に飛び込むには勇気がいります。でもこの人たちは、あえてはるか数千キロも離れた地に出て行きました。
それにしても、ここに自分の出身地、名前が記されているのを見つけた人たちは、どれほど感動したことでしょうか。私たちの名はどこに記されているのでしょうか。主イエスは「ただあなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」(ルカ10:20)と言われました。私たちの名は天に書き記されています。神の恵みに応答し、天に名が記されてあることを喜び感謝します。
主の祈り:神の約束を信じ、遠く離れたエルサレムの地へ出向いた人たちを讃えます。私たちも、祈りつつ、神様のご計画を確認しながら進んで行きたいものです。 イエスキリスト様の御名によって感謝して祈ります。 アーメン
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