『神殿建設の勅令の確認』
エルサレム復興はユダヤ民族の希望です。この希望を叶えたのは、バビロン帝国を倒した、メディア国の中では、ほんの一握りの小国であったペルシャから起こされたキュロス王であり、彼は神に霊を奮い立たせられ、まるで再臨される主イエスの姿を見るように、王としてエルサレム神殿、主の宮を建てるように勅命を出しました。第二のモーセとも言われているキュロス王の出生は、非常に興味深い物語ですが、主なる神は、このキュロス王を用いて、イスラエルの民を70年の捕囚から解放された。異邦人の王がユダヤ民族を救った事に、聖書は人間的(Humanity)の物語ではなく、歴史の背後にある神性(Divinity)の物語である事が見えるのです。
キュロス王の勅令は紀元前536年ですが、すぐに神殿が復元されたのではありませんでした、勅令後の16年間の神殿建設工事は、横槍が入って中断します。これは主にサマリア人によるもので、ユダヤ人と親戚といっても良いサマリヤ人が、やがてお互いを敵視するひとつの原因でもあります。 神殿が完成するのはまだまだ先の話ですが、それまでのありさまがエズラ記に記されています。この5章は、恐らく紀元前520年のダレイオス王の統治の出来事です。 神殿の基礎工事というべき土台は完成したのに、神殿建設は一向にはかどりません、それに対して、エズラより少し前の預言者ハガイは「この宮が廃墟となっているのに、あなたがただけが板張りの家に住む時だろうか。」ハガイ書1章2節
このエルサレム復興のために、多くの預言者が起こされています。捕囚による失意のユダヤの民に希望をあたえるために、送られた預言者たち、そうしてこの時代の、もう一人の預言者ゼカリアは「わたしに帰れー主のことばーそうすれば、わたしもあなたがたに帰る」ゼカリア書1章3節とユダヤの民に、主の宮の建設をうながすと同時に、それだけではなく、神のみことばを預かる預言者として、さらに先の将来に繋がってゆく、ユダヤ民族の悔い改めから、救い主、メシアである主イエスの初臨の預言、さらに遠い将来の再臨までの預言も同時にしています。 聖書は、本当に驚くべき神のストーリーです。
さてエズラ記に戻って、この5章は、ダレイオス一世(アハシュエロス)紀元前521〜486年によって、彼より3代前のキュロス王が確かにユダヤ神に帰還命令を出し、神殿再建を手伝う勅令を出しだことを確認した章です。確かにペルシャ帝国の方針は、被占領国の宗教や文化を尊重する政策をとって、特にエジプト王国との中間にあるユダヤの政情の安定が国益と見たわけですが、それだけではなく、その背景には、神の御手であるDivinityが働いていた事を5章は、明らかにしてくれています。
祈り
全能の父なる神が、御手を伸ばされて、ユダヤ民族を救われたように、主は神の子とされた信者たち、御子を信じる者たちを常に見守ってくださることに感謝致します。アーメン
文:森 宗孝
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