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2025年2月13日 コリント人への手紙第一10章

  • hccnichigo
  • 2月13日
  • 読了時間: 2分

「偶像礼拝を避けなさい。」―14節(抜粋)―


「だれでも、自分の利益を求めず、ほかの人の利益を求めなさい。」―24節ー


 10章は、イスラエルの民が失格者となったことが記されています。イスラエルの先祖はモーセにつくバプテスマを受け、みな、同じ霊的な食べ物や飲み物にあずかりました。だが、彼らの大部分は神のみこころにかなわず、荒野で滅ぼされました。偶像礼拝をしたからです。このようなことからパウロはコリントの教会の人々に強く呼びかけているのです。偶像礼拝者になってはいけない、淫らなことを行うことのないように、キリストを試みることのないように、不平を言ってはいけないことで。これらのことは、戒めのためであり、世の終わりに望んでいる私たちへの教訓だと語っています。私たちにも言えることですね。


 市場で売っている肉はどれでも食べていいこと、なぜなら地とそこに満ちているものは、主のものだからです、とパウロは語っています。また、信仰のないものに食事を招待されたら、自分の前に出されたものは良心の問題を問うことをせずに食べなさい、とも述べています。しかし、人が、「これは偶像に献げた肉です。」と言うならその人の良心のために食べてはいけないと言っています。これが、パウロが24節で述べていることである。

「だれでも、自分の利益を求めず、ほかの人の利益を求めなさい。」

 これが神の栄光をあらわす生活だと語るのであります。


 お盆の時の思い出が蘇ります。その時には仏壇にお供えされたものはどれもおいしそうで豪華な食べ物が所狭しと並べられています。供養が済むとその食べ物は、まず家の主そして長男が先に食べます。その後に女、子供たちが食べます。偶像に献げられたものということを知らずにみんなで美味しく食べたことがあります。そのころは良心とかはまるっきり考えられませんでした。美味しいものをお腹いっぱい食べられるのはお盆とお正月だけだったからです。クリスチャンになった今でも、実家に帰ったときに仏壇に献げられた肉を信仰のない兄弟たちに目の前に出された時には食べます。それは、みんなが心を込めて作ってくれたごちそうだからです。これこそパウロがいう、「ほかの人の利益を求めなさい。」ということにつながるのではないでしょうか。


 

 主の御名をほめたたえます。今日の御言葉を心より感謝します。私も自分の利益を求めずに他者の利益を求めていくことができる道へと歩ませてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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