『信仰の土台である福音』
私たちクリスチャンが信じるものは何だろうか。聖書の中心となる、よきおとずれの福音とは何か。
3〜4節「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また葬られたこと、また、聖書にもかいてあるとおりに、三日目によみがえられたこと」これが私たちの信仰の中心である福音の3要素、(1)私たちの罪の贖いのために十字架で死なれたこと(2)墓に葬られたこと(3)三日目によみがえられたこと この三つが福音の土台としてパウロがコリントにも、どこの教会にも伝えた福音ですと明らかにされておられます。
ところが、コリントの教会は、ご存知のように派閥で分裂したりした問題の多い教会ですから、教会のなかには、この福音の3要素のひとつである、キリストが三日目によみがえられた、復活されたということを信じない者たちがいたようであります。彼らに対してキリストがもしもよみがえられなかったなら、信仰も空しいものとなる。なぜならキリストの復活は、人類の初穂として、将来に私たちの身におこる永遠の身体としての復活につながっているからだと力説しているのです。アダムによってすべての人が原罪の罪によって死ぬことが避けられないように、キリストにあって、今度はその罪が赦され、死者の中からよみがえるのです。最初の人アダムは生きるものとなった。しかし、最後のアダム(キリス)はいのちを与える御霊となりました。とパウロは証しして、これがクリスチャンの希望なのです。
私たちの魂が救われることはキリストの贖いの死、十字架の贖いで明らかにされましたが、私たちはこの魂の救いだけで終わることがなく、身体の救い、永遠の死ぬことのない栄光の身体の約束がされているのです。イエス・キリストがよみがえられた事は、実に信じる者が全員キリストと一緒に復活することだとパウロは神から啓示されているのです。それはいつのことなんでしょうか。
52節「終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。」
44節「血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。」
これがGood News 福音そのものですから、この15章はコリントの手紙の、それこそ頂上、ピークにあたる章なのかもしれません。私たちが、この希望を心から信じるならば、やがて出会う主イエスに喜ばれる事をこの世で成し遂げよう、自分達の労苦が主にあって無駄ではないことを知っている、硬い岩であるイエスを土台とする信仰に立っていると思いませんか。
祈り
どうか、福音である希望が、私たちのこの世での労苦に打ち勝つ力がありますことに感謝致します。
まだまだ信仰の浅い自分に、この希望の火が燃え続けますように。 アーメン
文:森 宗孝
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